ファティマの預言: 聖母の明かした三つの秘密(2)

ファティマの聖母は6回出現されており、ルシアに伝えられた聖母のメッセージは、カトリック教会では3つの秘密と呼ばれるものが含まれていました。アンドリュー・アポストリ司祭は、『今日のファティマ』のなかで、7月(第一の秘密)と10月の出現で明かされた秘密は、特に重要なものであると指摘しています。(Fatima for Today,p53)

第一の秘密-地獄の幻影(地獄が実在すること)

この秘密が3人の子供たちに明かされたとき、彼らは地獄の幻影を見ました。

「聖母は私たちに、人間の魂が苦悩と絶望の中で叫んでいる火の海の幻影を見せました。透明な人の形をした魂は、奇怪で見たこともないような動物の姿をした醜悪な悪魔たちとともに地底に永遠に閉じ込められていたのです。」 ( Wikiwandより要約)

聖書は、地獄が実在することを教えています。そして、神に背いた者が悔い改めない場合に行く場所である、地獄を描写した箇所がいくつかあります。 

例えば、『ヨハネの黙示録』には、地獄の炎に投げ込まれる死者の魂について書かれています。

「死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:14-15)。

マルコ9:47-48で、私たちの主は次のように言っています。

地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

この場合、主はイザヤ書66章24節を引用していますが、同じ記述がありながら、それが地獄を指しているとは明言していません。つまり、マルコ福音書の一節は、イザヤ書で暗示されているだけのことを明確にしているのです。ユディト記(続)16:17とシラ書7:17(続)も、悪人の刑罰を 「火と蛆(うじ)」と表現しています。

さらに私たちの主は、永遠に地獄に閉じ込められることを警告しています。

「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ』 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」(マタイ25:41、46)。

子供たち、特にフランシスコとジャシンタは、この地獄の幻を見た後、罪人の救いのために度々苦行をするようになりました。ジャシンタは、流行を追いかけようとする人たちに、「人は永遠の意味を理解すれば、自分の生き方を変えるために何でもする。永遠の主に従う教会は、流行とは無縁だ。」と訴えています。

同様の地獄の幻影を見た聖ファウスティナ

ポーランドの幻視者である聖ファウスティナ(1905-1938)も、、神により、地獄が実在することを証明するため地獄を見せられました。彼女が描いた恐ろしい幻影は、ファティマの子供たちが見た幻影と似ています。彼女は、幻視で見た地獄の炎を、恐ろしい苦しみをもたらす永遠の霊的な炎と表現しています。さらに、罪人が悪魔と共に、暗闇と、ひどい窒息臭の中で、永遠の苦しみに閉じ込められているのを見たと語っています。

恐らく多くの人々は、地獄に落ちるのはひどい罪を犯した人々だけだ、と考えているのではないでしょうか。実は、それほど単純ではありません。聖ファウスティナは地獄に落ちた多くの魂は、生前地獄を信じていなかった人々であった、と伝えています。地獄の存在を信じていなければ、神に対して罪を犯し、悔い改めることなく死んでしまう危険性が高くなるからです。

「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」(Ⅰコリント6:9-10)

神の国を受け継ぐことができない、つまり罪を犯したことに十分に気づかない、気づいても何もしない人は地獄へと落ちる確率が大きくなります。私は告解に行くかどうか悩むときがありますが、告解後、実は罪に鈍感になっていただけであった、と気づくことが度々ありました。

ファティマの聖母が強調されたように、悔い改め、神に立ち返り、許しを請い、神と和解すること、それこそが魂を救いに導きます。この事実と、地獄の現実に対する聖母の重大な警告は、真剣に受け止める必要があります。なぜなら、私たち人間は罪を犯し続ける生き物であり、地獄は、罪を犯したまま死んでいく者の行き着く先だからです。

第二の秘密 – 現代社会を形成する最も重要な出来事と動きについて

『第二の秘密』は2つのパートに分かれています。

聖母は、魂を救い、平和をもたらすために、無原罪の御心への奉献を確立することを望んでおられます。聖母は、戦争、飢饉、教会への迫害を防ぐために、ロシアがが無原罪の御心に奉献し、五つの第一土曜日に献身するよう求めています。その願いが聞き入れられるならば、ロシアは回心し、平和が与えられるでしょう。 (Wikiwandより要約)

第1部 

願い:無原罪の聖母マリアへの奉献と祈り。
預言: 第一次世界大戦の終結。
警告と予言: もし罪人が十分にしないなら、教皇ピオ11世の時代から再び世界大戦が起こる。

第2部:ロシア語の奉献と無原罪のマリアへの献身

願い:第一土曜日のファティマの聖母への献身。
予言: 多くの場所で飢饉が起こる。
警告と預言: もし教皇が全司教団と協力し、ロシアを無原罪のマリアの御心に奉献するなら、世界に平和が訪れる。そうでなければ、ロシアの誤りは世界中に広がり、カトリック教会への迫害につながる。

第二の秘密の第1部に関する聖母の預言は、第二次世界大戦に関する預言であったため、すでに成就しています。しかし、第2部の預言は、さらなる戦争を預言しているようで、それはこれから起こる未来である可能性が考えられます。

7月13日: 封印された第三の秘密

シスター・ルシアは聖母マリアから、時が来るまで第3の秘密を誰にも明かさないように、と警告を受けていました。そのためシルバ司教から、第三の秘密を文書で残すように言われたルシアは、どうすれば良いのか悩んでいました。

1944年1月、聖母マリアがルシアの前に現れます。

聖母マリアからルシアは「秘密の意味を理解したまま書き留めてはいけません。ただ、あなたが見たとおりに秘密を記述しなさい 。」と伝えられました。
ルシアは聖母の言葉に従い、第三の秘密を書き記し、その封書をシルバ司教に渡しました。その時、ルシアはシルバ司教に、ルシアの死後、もしくは遅くとも1960年には第三の秘密を開示するようにと頼みました。

1957年、シルバ司教は封印されたままの手紙をローマに届けます。しかし、1960年になっても、第3の秘密は開示されませんでした。

2000年、バチカンはついに第三の秘密を公開しました。2000年まで公開されなかったのは、ローマ教皇の暗殺を予言する内容だったからだと言われています。

第三の秘密:殺された司教

Wooden cross on the top of the mountain on sunset

第三の秘密における幻視は次のようなものでした。

聖母の左側、やや上方に、左手に炎の剣を持った天使が飛び、大声で「懺悔、懺悔、懺悔!」と叫んでいる。

幻の中では、数人の司教、司祭、修道士、修道女が、白衣を着た司教(おそらく教皇と思われる)とともに、頂上に粗末な十字架のある険しい山道を登っている。白い服を着た司教は、苦悩と悲しみの中で死者のために祈りながら、廃墟と化した大きな町を震える足取りで通り過ぎていく

山の頂上に到着した司教は、十字架の前にひざまずいて祈ったが、数人の兵士に殺されてしまった。司教、司祭、修道士、修道女、平信徒など、さまざまな身分の者が次々と殺され、そこで息を引き取った。十字架の両腕の下には、それぞれ水晶のアスペルソリウムを手にした2人の天使がいて、殉教者の血を集め、神への道を歩む魂に水をかけていたWikiwandより要約)

この幻の中の司教(教皇)は、1981年の5月13日(ファティマの聖母の祝日)に暗殺されそうになったヨハネ・パウロ2世を表していると考える人もいるようです。一方、教皇聖ヨハネ・パウロ二世は暗殺未遂から生還したのに対し、この幻の司教は生還しませんでした。『第三の秘密』に描かれた司教は特定の個人ではなく、象徴的な人物である可能性も高そうです。

多くの人が『第三の秘密』には公開されていない部分があると考えています。また、第一の秘密と第二の秘密には、それぞれ聖母の幻視と言葉による解説が含まれていますが、第三の秘密(バチカンによって公表されたもの)には、幻視のみが含まれており、解説はありません。

第一の秘密と第二の秘密のヴィジョンについて解説した後、なぜ聖母はこの難解な第三のヴィジョンについて解説をしなかったのでしょうか。そして、もし第三の秘密が単なる幻視(おそらく教皇の暗殺を示すもの)であったなら、なぜ1960年以降も秘密にされたでしょうか。

実はシスター・ルシアが『第三の秘密』を、2通の別々の文書に記録したという証拠もあるのです。 (さらに詳しくお知りになりたい方は、こちらの本をご覧ください。 Chapter 13 of the book The Devil’s Final Battle, by Fr. Paul Kramer.) 第三の秘密については、知れば知るほど、バチカンがその全貌を明らかにしたのかどうかが疑わしくなってくるのです。

10月13日:太陽の奇跡

歴史上初めて、預言者、もしくは先見者は、受け取ったメッセージが神からのものであることを証明するために、公共の奇跡を目撃するために、特定の場所と時間にすべての人々に集まるように求めていた。 (Fatima: The Great Sign by Francis Johnston) 。

10月13日、信者も信者でない人々も聖母の奇跡を目撃するために、ファティマのコバ・デ・イリアに集まりました。おおよそ4万人から8万人くらいが集まったと言われています。(正確な数は不明)この日は、前日から降り続いた雨で人々は雨に濡れ、地面はぬかるみ、どろどろの状態でした。

聖母マリアの出現を待ち、出現した小さな木の前で祈っていたルシアは、ふと自分の中に湧き上がる衝動を感じ、集まった人々にロザリオを祈るように告げました。人々がロザリオを祈り始めると、聖母マリアが3人の子どもたちに現れました。ルシアが聖母に何をしてほしいか尋ねると、聖母は「私はロザリオの聖母です。どうかここに教会を建ててください。毎日ロザリオを祈りなさい。やがて戦争が終わり、兵士たちが帰ってきます。」と答えました。

さらに、集まった人たちの癒しについて尋ねたルシアに、「癒される人もいれば、癒されない人もいるでしょう。人々は悔い改め、生き方を変える必要があります。」と伝えました。聖母は、また、これ以上主なる神を怒らさないことを警告しました。

これらのメッセージを伝えた後、聖母マリアは両手を開くと太陽の光を反射させ、天に昇っていきました。ルシアは、「太陽を見て!」と群衆に叫びました。その瞬間人々は、雲が開き、雨が止み、太陽が奇跡的に回転し、ジグザグに動き、急降下してくるのが見えたのです(Fatima for Today, p. 114) 。さらに不思議なことに、目撃者は、太陽が明るく輝いていたにもかかわらず、それを見ていた人々の目を痛めることはなかったと証言しています。 (Fatima for Today, p. 113)

太陽の奇跡を証言した自然科学教授

コインブラ大学の自然科学教授であるゴンザロ・デ・アルメイダ・ギャレット博士も、太陽の奇跡を目撃するためにそこにいました。この奇跡では、色とりどりの光が、ある人には見えたが、ある人には見えませんでした。ギャレット博士は、奇跡が起こったとき、周囲がアメジスト色に染まっていたことを証言しています。

太陽ははっきりと強く輝き、まるで光る円盤のようで、その縁はきれいに切れていて、目を痛めることはなかった。一方、太陽を鈍い銀色の円盤に例えることには反対である。太陽現象で大気がアメジスト色に染まり、空も大気も、周りのものもアメジスト色に染まっていた。網膜の異常かと心配したが、その場合、紫色は見えないはずである(Aleteiaより要約)。

しかし、3人の子供たちが見たのは、踊る太陽ではなく、聖母マリア、聖ヨセフ、ロザリオの秘儀、カルメル山の聖母の幻影でした。すべての奇跡が終わった後、人々の服はもちろん、地面までもが完全に乾いていたのです。

私は、この太陽の奇跡は、神の奇跡を体験しなければ回らない人々のために行われたのだと信じています。

第3の秘密はいつ成就するのか?

ニコラス・グルーナー神父(1942-2015)は、「第3の秘密は完全には明らかにされていない。」と考える人物の一人でした。

Fr. Gruner on the Message of Fatima/ Your Last Chance Conference/ May 2012

1931年、私たちの主がシスター・ルシアに現れました。ロシアの回心が成されなければ、世界に、大きな災いが降りかかると再び警告されたのです。

このビデオでは、グルナー司祭が聖マルガリタ・マリア・アラコクの預言を用い、ロシアの回心が成されない場合、神の裁きがどのようなタイミングで行われる可能性があるかを説明しています。

1689年6月17日、聖母マリアはマルガリタに現れました。マルガリタその後、聖母がフランス国王に「どうか、フランス国をイエスの聖心に奉献するよう伝えてください。」と頼んだことを伝えました。しかし、三代にわたるフランス国王は、聖母マリアの言葉を蔑ろにし続けました。そして、予言からちょうど100年後の1789年6月17日、フランス国王は第三身分の人々によって王権を奪われ、それから4年も経たないうちに、ギロチンで処刑されたのです。

グルナー神父は、ファティマの要請の「タイムリミット」も1931年から数えて100年ではないかとの懸念を示しています。

ベネディクト16世: 無原罪のマリアの御心の勝利のために祈る

2010年5月13日、福者ジャシンタとフランシスコ・マルトの列福10周年に際して(そしてファティマ出現100周年を7年後に控え)、教皇ベネディクト16世はジャシンタ、フランシスコ、そしてファティマの聖母の秘密に関する説教を行いました。この説教で教皇は、ファティマの預言的使命が、完了したと考えるのは誤りであることを明らかにしています。

また、ジャシンタとフランシスコの神への燃えるような愛に関する言葉を紹介しました。そして、ルカ11章28節にある主の言葉「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」を引用し、信仰の重要性を強調しています。そして信仰は私たちを裏切らない、希望の地平を開くものであり、恐れのない人生の土台であると付け加えています。さらに、ファティマの聖母への奉献が世界中に広がり、無原罪のマリアの御心が勝利するという予言の成就が早まることを希望している、と願っています。 (EWTN, Homily, Mass in Fatima 13 May 2010)

ベネディクト16世が、無原罪のマリアの勝利という預言のすぐの成就を祈り、すでに19年が経ちますが、その明るい兆しはまだ見えていません。今日の世界の状況を考えると、第三次世界大戦の惨禍が、先に実現する可能性の方が高いようです。一方、ルカ21章9節には、「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」とあります。希望は残っているようです。

ファティマの聖母の願いどおりに行われなかった奉献

聖母が預言した戦争を回避するための二つの条件は、第一に、人々の聖母に対する冒涜と侮辱に対する贖罪としての五大第一土曜日の献身、第二に、教皇のみが行うことのできるロシアの奉献です。

聖母マリアの出現から100年以上、歴代の教皇によって、ロシアの回心と奉献のための祈りが何度も捧げられてきました。残念ながら、ロシア奉献の試みは、いずれも聖母の要求通りに実行されたことはありません。

2022年3月21日付の記事で、ライフサイト・ニュースが解説しているとおりだといえます。(以下抜粋)

世界の司教たちは、奉献に参加するよう招かれたが、命じられたわけではない。
また、すべての信者が参加できる「第一土曜日5回」の奉献が、まだ十分に普及・浸透していないとも言えるかもしれない。いずれにせよ、ファティマの預言は、ロシアの聖別が実行されなければ、多くの国が地上から消滅すると告げているのである。

無原罪のマリア様の勝利の予言が一日も早く成就し、世界が平和になることを心から祈ります。

ファティマの預言:聖母の出現 (1)

ポルトガルはカトリック教徒にとり、魅力あふれる国です。世界遺産であるジェロニモ修道院をはじめとし、美しく歴史ある教会が数多くあるからです。そして何より、聖母マリア、ファティマの聖母の一連の出現が起こった国でもあるからです。

ファティマの聖母はバチカンから本物の出現と認定されているのか?

ファティマの聖母は、その奇跡と最後の審判に関する予言によって、カトリック教徒でない人々にも知られています。しかし出現を信じる前に、バチカンがこの出現を認定しているかどうかを確認することが重要です。

カトリック教会は、これまで数多くの聖母の出現と思われるケースを調査してきました。20世紀には、なんと386件もの聖母の出現がバチカンに報告され、承認が求められましたが、そのうち299件については、バチカンは明確な回答を出していません。

残りの87件のうち79件についてバチカンは、聖母の出現である超自然的な性格を持つものではない、と判断しています。つまり、聖母の出現だと思われる386件につき、超自然的な出来事であった、とバチカンが判断したケースは8件しかないのです。ファティマの聖母はその8件のうちの1つとなります。 (デイトン大学)

1930年10月13日、レイリア地方の司教ジョゼ・アルヴェス・コレイア・ダ・シルヴァは、ファティマの出現を信じるに値すると判断し、ファティマのロザリオの聖母という名称で、聖母への一般信心を許可しました。ファティマの聖母の祝日は5月13日とされましたが、長い間、地元の祝日にとどまっていました。

1940年、ピオ12世は、ファティマでの聖母は本物であり、超自然的な出現であると宣言しました。そして2002年、カトリック全教会用のカレンダーに表記され、現在に至るまで教会の公式祭日となっています。

3人の牧童の前に出現したファティマの聖母

1917年5月13日の日曜日、聖母は、ポルトガルの小さな村ファティマに住む3人の牧童、ルシア(1907-2005?)、ルシアのいとこであるフランシスコ(1908-1919)、ジャシンタ(1910-1920)の前に現れました。

その日は日曜日で、3人の子供は朝早くからミサに行っていました。ミサが終わると、彼らは羊の群れを連れ、コバ・デ・イリア(Cove de Iria)といわれる場所に羊の放牧に向かいました。放牧をしている間、3人の子供たちはお昼ごはんをたべ、祈りを捧げたりしながら時を過ごしていました。

その日は晴天で、青空が広がっていました。彼らは、いつものようにゲームをして遊んでいました。すると突然、強い光が見えたのです。突然、光を見た子供たちは、雷だ、と思い、急いで羊を家に連れて帰ろうしました。その時、二度目の光が輝きました。すると小さな西洋ヒイラギガシの木の上に、3人は白いドレスを着た光り輝く女性がいるのを見たのです(Fatima for Today/Fr. Andrew Apostoli, C.F.Rより要約)。

3人のうち、ルチアだけが聖母マリアと話すことができました。フランシスコは聖母を見ることができましたが、聞くことも話すこともできませんでした。ルシアは後に、聖母マリアは17歳くらいの若い女性のように見えたと語っています (Fatima for today) 。

ファティマの聖母が予言した運命をたどった3人の子どもたち

1917年のファティマでのマリア出現の頃に撮影されたファイル写真に写る、ポルトガルの羊飼いの子供ルシア・ドス・サントス(中央)とその従兄弟であるジャシンタとフランシスコ・マルト (Public domain)

6月13日の2回目の聖母出現の際、ルシアは聖母マリアに「私たちを天国に連れて行ってくれますか」と尋ねました。聖母は「ジャシンタとフランシスコは、すぐに連れて行きます。あなたたちはもう少しここにいてください 」と答えました。

そしてジャシンタとフランシスコは、ファティマの聖母が予言した通り、数年後に亡くなります。フランシスコは1919年4月4日、ジャシンタは1920年2月20日にスペイン風邪で亡くなりました。ルシアはその後、14歳で聖ドロシー姉妹学校(中等学校)の寮生となり、聖ドロシー姉妹学校(高等学校)のポスラント(修道女候補者)としてスペインのテュイにある修道院に入り、1928年10月3日に初誓願を立てました。1934年10月3日、終生誓願を立て、「悲しみの母」のシスター・マリアと名乗るようになります。

その後1946年にポルトガルに戻り、1948年3月にコインブラのカルメル会サンタ・テレサ修道院に入り、そこで生涯を終えています。

(Servant of God Lucia Santos | EWTN)

最年少、非殉教者の聖人となったジャシンタとフランシスコ

フランシスコの唯一の夢は、天国に行くことだったと言われています。当時、まだ7歳だったジャシンタは、ルシアに「無原罪の御宿りは救いの道へ導いてくれる、そのためには祈りと改心、そして聖母への献身を必要とする」と語っていました。フランシスコとジャシンタは、幼いながらも深い霊性に恵まれており、人々は彼らの祈りによって、神に執り成しを求めることさえあったということです。

2000年5月13日、ジャシンタとフランシスコはに教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福されました。そしてファティマの聖母出現100周年を記念し、2017年5月13日、教皇フランシスコによって列聖されています。彼らの祝祭日は2月20日となっています。

ジャシンタとフランシスコの姪であるジャシンタ・ペレイロ・マルトは、2017年4月20日の列聖に際して、CNAとのインタビューで彼らについて話しています。

彼女によると、フランシスコは、神を賛美し、神を慕い、神を崇拝する ことに重点を置いていたそうです。しかし、ジャシンタは主に改宗に関心を持ち、すべての人が神のもとに戻り、すべての人が改宗し、すべての人が天国に行くこと を願った、と話しています。

ファティマでの聖母の出現、それに続く子供たちの列聖は、主イエス・キリストが言われた言葉をはっきりと現しています。

幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。(マルコ 10:14)

シスター・ルシアの謎

ジャシンタとフランシスコが早くに亡くなった後、3人の中で唯一残されたルシアは修道女となり、やがてカルメル会に入信しますが、1948年以降のルシアについては大きな謎があります。

バチカンの公式発表によると、ルシアは2005年に97歳で亡くなっています。しかし、多くの人々は、彼女は実際にはずっと前に亡くなっており、2005年に亡くなったルシアはファティマのシスター・ルシアではないと考えています。

SISTER LUCY TRUTHは2017年より様々な専門家、医学専門家の手をかり、果たして2005年2月13日に亡くなったのは、本物のシスター・ルシアだったのかを調査しはじめました。彼らは、シスター・ルシアの写真の比較はもちろんのこと、筆跡の比較、また顔の骨格の分析など細部にわたった分析をしています。その結果は以下のように報告されています。

1917年にファティマの聖母が現れた本物のシスター・ルシアと、少なくとも1967年5月13日から2005年2月13日に亡くなるまで、ファティマの本物のシスター・ルシアとして自分を偽っていた偽者が、実際に存在したという判断を下しています。


真実はまだ明らかにされていないため、分析結果を信じるか信じないかは個人の自由です。一方、1946年と1967年以降のシスター・ルシアの写真を比較すると、専門家でなくても1967年の写真には、1946年の写真のルシアとは別人が写っていることがはっきりと理解できます。もしシスター・ルシアが2人存在していたのなら、いったい何のために存在したのでしょうか。そして、本物のルシアはどこに消えてしまったのでしょうか。

Image: Statue of the image of Our Lady of Fatima

(2)へ続く

生か死かーカトリックの視点から見た 中絶問題

実は私は、最近まで、中絶が殺人に等しいとは全く考えていませんでした。中絶の問題が取り上げられ、中絶について調べ、胎児がどれほど成長しているのか、どのように中絶されるのかという事実を初めて知り、その事実にぞっとしたのです。おそらく、多くの中絶推進派の人々は、かつての私と同じように、中絶の真実について無知なのではないでしょうか。

今回は、なぜ中絶が重要な問題なのか、そしてこの問題に対する、カトリックの視点はどうなのかについてお話したいと思います。

カトリックにおける神の赦しと中絶の罪

カトリックの教えは、罪のない人間の命を故意に奪うことは、常に間違っているというものです。胎児は人間であり、明らかに無実です。ですから、胎児を殺すこと、つまり中絶は、罪のない人間の命を奪うことであり、大罪なのです。もし、人が大罪を一つでも悔い改めずにこの世を去るなら、その罪はその人を永遠の地獄に真っ逆さまに突き落とすことになります。ですから、中絶という大罪を犯した人、あるいはそれに協力した人は、他の大罪と同じように、自分の魂が救済されるために、神に心から許しを請い、良い告解をする必要があります。

非カトリックの場合はどうなるのか?

結局のところ、告解をしない非カトリック教徒であっても、神は彼らを愛されているので、赦され、神の恩恵を受けることができます。ある司祭の説教では、主イエス・キリストが「わたしが道であり、真理であり、命である。わたしによらずには誰一人父のみもとには行けない」(ヨハネ14:6 -ドン・ボスコ口語訳)と言ったことは事実であると述べています。さらに「キリストはすべての人の入信を望み、唯一の教会を設立したが、信徒ではない人々が必ず地獄に行かなければならないということではない」と明言しています。

司祭は、神の赦しと恩恵は神秘的な方法で与えられ、時に、外見的、視覚的な兆候を伴わない、と説明していました。また私たちカトリック教徒には、秘跡という素晴らしく有利な点がありますが、神の恩恵は、何らかの形ですべての人に与えられている。と強調しています。

中絶をすると地獄に落ちる?

わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。(ヤコブの手紙3:2)

神の赦しと恩恵にあずかれば、地獄に行くことにはなりません。地獄に落ちるどのような罪からも救われます。

私の教区の司祭は「地獄に落ちるのは、カトリック、非カトリックを問わず、愛である神の赦しと恩恵を拒絶する人々である」と述べました。神は自由意志を何よりも大切にされるので、自ら神の恩恵を拒否する人々には、救いの手を差し伸べることはできないからです。

一方、カトリックであろうとなかろうと、神を愛し、神を怒らせたことを反省し、自分の罪を心から悔い改める人(いわゆる「完全悔悛」)は、中絶や他のどんな罪も神によって赦されます。主なる神は「わたしは悪人の死を喜ばないが、悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ」(エゼキエル33:11)と言われています。

米国における中絶に関する世論について

1972年1月、アメリカ合衆国の最高裁判所は、ロー対ウェイド事件の判決において、中絶を禁止するすべての法律は違憲であるとの判断を示しました。しかし、2022年6月、最高裁はその判決を覆し、憲法で保護された中絶の権利は存在しないとの判決を下しました。つまり、50州のそれぞれが希望すれば、自由に中絶を禁止することができるようになったのです。

その後、ピュー・リサーチ・センターが行った調査によると、米国の成人の62%が「中絶は全て、またはほとんどのケースで合法であるべき」と回答し、36%が「全て、またはほとんどのケースで違法であるべき」と回答しました。別の調査においては、この問題に関し絶対主義的な見解を持つアメリカ人は比較的少ないという結果が出ています。

この調査では、無宗教者の83%がプロチョイスであることが判明しました。またキリスト教徒の中では、黒人プロテスタント(71%)と白人非福音派プロテスタント(61%)の過半数が、すべての場合またはほとんどの場合において中絶を合法とすべきとの立場をとっています。しかし、白人の福音派の4分の3近く(73%)は、中絶はすべての場合、あるいはほとんどの場合において違法であるべきだ、と答えています。

文化的なカトリック教徒はプロチョイスなのか?

さらに、カトリック教徒の53%が「中絶は道徳的に間違っていない」と考えているとのことです。

一見、衝撃的な結果ですが、もちろん、調査の質問の仕方を変えれば、違う結果になる可能性はあります。しかも、この数字には、カルチュラル・カトリック (文化的カトリック)と呼ばれる人たちが含まれていると考えられます。文化的カトリックとは、アンケートでカトリックにチェックを入れますが、カトリックの教義や道徳に関心がなく、定期的に教会に通うこともない人たちのことです。上記でのべたようにアンケートに回答した53%のカトリック教徒は、教義や道徳に無知であることは明らかです。

中絶が答えなのか?

中絶に反対する人たちに投げかけられる質問のひとつに、レイプの結果、女性が妊娠してしまったらどうするかというものがあります。カトリック教徒に限って言えば、中絶は選択肢に入りません。レイプ被害者が望まない妊娠をし、経済的・心理的負担から出産が困難な場合でも同様です。

レイプは米国では深刻な問題で、RAINNによると68秒に1回レイプが発生し、女性の6人に1人が生涯で性的被害を経験している、ということです。

しかし、中絶はレイプ被害者にとって良い結果をもたらさないことが判明しています。Live Actionによると、中絶を選択したレイプ・サバイバーの88%が後悔しているということです。また、中絶をしたレイプ被害者の93%が、同じ境遇の人に中絶を勧めない、と答えています。

レイプは女性が責任を負わない暴力行為であり、中絶は女性が道徳的責任を負う暴力行為なのです。(Students for life of America)

「私はレイプされることを選んだわけでもなく、妊娠することを選んだわけでもない。また、私の子供は私が妊娠することを望んだわけでもありません。私に起こった恐ろしい状況のせいで、彼の命を奪う権利はありません」 (Students for life of America)

こうした事実から見えてくる大きな問題は、「中絶は被害に遭った女性の解決策である」という誤った認識です。また、勇気を持って子どもを持つことを選択した女性に対する、福祉や地域支援の充実が必要です。私は、性犯罪の被害者が、被害に遭った後にさらなる苦しみを味わうことに、いつも憤りを感じています。中絶問題の権利を主張するだけでは、深刻な性犯罪状況の被害を失くす、ということにはならないからです。

ロー対ウェイド判決に協力したバーナード・N・ナタンソン博士

産婦人科医のバーナード・N・ナタンソンは、「中絶王」と呼ばれ、ロー対ウェイド判決で自民党側の勝利に貢献したプロチョイス活動家でした。けれども、超音波に映し出された胎児の映像が、ナタンソンの中絶に対する考えを変えるきっかけとなりました。


彼は、子宮の中で胎児が微笑み、伸びをし、足の指をくねらせているのを見たのです。また、胎児が中絶器具から離れようと縮こまる姿も見え、それは胎児が痛みを感じているサインだと感じたのです。超音波検査によって胎児の真実を知った彼は、「全米中絶廃止協会」を設立しました。(ナタンソン博士については、Inside the Vaticanをご参照ください)

ナタンソン博士は、中絶を 「アメリカ史上最も残酷なホロコースト 」と呼んでいます。胎児は肉の塊ではなく、中絶装置から逃れようとする人間の赤ん坊なのです。ピュー・リサーチ・センターによると、アメリカでは中絶が減少傾向にあるとのことです。その一方、薬物による中絶は増加傾向にあるのです。たとえば、州法で中絶を違法としている保守的なテキサス州でも、薬物による中絶は1100%増加しているのです(『セレブレーション・ライフ・マガジン』2023年冬号、30頁)。ナタンソン博士が言うところのホロコーストは、まだ終わっていないのです。

申命記命:命の選択

聖書では申命記30:19で神が命の選択を命じています。

「 わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう」(ドン・ボスコ社口語訳)

「あなたは命を選ばなければならない」という言葉は、日本語訳(ドンボスコ口語訳)でも英語訳(RSV)でも、またギリシャ語訳、ラテン語訳、その他いくつかの英語訳でも、命令形になっています。十戒のひとつに 「汝殺すなかれ」という教えがありますが、これは「汝、無実の人を殺すなかれ」という意味です。つまり、中絶は殺人と同じである、ということなのです。

私たちの命を与えてくれた神が「命を選択しなさい」と命じました。私たち人間には、その神の命令を書き換える権利はないのです。

命の選択をした母親の子供

ライアン・ボンバーガー氏は、レイプによって生まれた子供であり、クリスチャンであり、デザイナーであり、エミー賞受賞アーティストであり、ソングライターであり、作家であり、「ファクトビスト」(ボンバーガー氏の造語。「アクティビスト」活動家と「ファクト」事実を組み合わせ)です。

この曲は、英語の “mean to be “という言葉が示すように、過去にも現在にも意味を持つ人生を与えてくれたことに感謝する、母親へのメッセージです。

MEANT TO BE” by Ryan Scott Bomberger

中絶の「権利」の側にいるのはどんな団体?

プロライフの教えを意識していても、中絶権を主張するニュースを見ていると、妊娠が性犯罪の結果であったり、健康上の問題があったりすると、女性が中絶してもいいのではと考えてしまうことがあります。しかし中絶を「権利」だと納得をさせるのは、狡猾な手口です。

中絶推進団体サタニック・テンプル

2019年に宗教団体として認可されたサタニック・テンプルは、中絶の 権利 のために活動を続けています。彼らは「実際には悪魔を崇拝していない」と述べていますが、興味深いことに、ウェブサイトには悪魔の画像を目立つように表示し、キリスト教とは相反する思想を積極的に支持しています。

このニュースを読みながら、「アヒルのように見え、アヒルのように聞こえるなら、それはおそらくアヒルなのだろう」という英語のことわざを思い出しました。サタニック・テンプルに関しても、「もし彼らが悪魔崇拝者のように見え、悪魔崇拝者のように行動するならば… 」と考えられます。

エクソシストであったガブリエレ・アモース師は、神の掟を進んで犯す人々が、堕天使に似ていることを説明しています。

「天使の原罪は、暗黙のうちに、あるいは明示的にサタン主義に固執する人々と同じである。サタンに従う天使と人間は、神の法に服従することなく、つまり自分の望むことをすることができ、誰にも従わず、自分が自分の神であるという3つの原則と人生の実践的なルールにその存在が基づいている」 (Catholic Exchange, April 19, 2023)

世俗の世界から眺めれば、中絶に関して、カトリック教会とサタニック・テンプルは、意見の異なる奇妙でカラフルな二つのグループに過ぎません。中絶反対派をとる人々が、自分の中絶反対の価値観を他人に押し付けなければ、問題は解決するように思われるはずです。

しかし、プロライフ活動にとって、受胎から自然死までの生命の権利は、宗教的教義であると同時に、自然法の基本原則であり、公正で安定した社会の基盤の一部であるのです。最も弱い立場の人々を保護しない社会は、やがて 強者が正しさを決める社会、すなわち、権力者であれば好きなことができる、というような無政府状態に陥ってしまうからです。

中絶の権利 や 選択の自由(女性が中絶するかどうかを選択すること)は、最初は良いアイデアに聞こえるかもしれませんが、このアイデアを支持する人々は、彼らの(認知されているかどうかにかかわらず)リーダーである悪魔のように、神ではない意図を持っているのです。そして、悪魔の目的は常に、社会の破壊、家族の破壊、教会の破壊、そして魂の破壊です。

ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)を超える人生

中絶というテーマは、政治的、道徳的、宗教的な多くの要因によって複雑になっています。最近の社会的傾向として、左翼的な傾向が強く、中絶に反対することは、「主流」社会の政治的正しさとはかけ離れたものとなっています。カトリック教徒は過激派とさえ呼ばれ、中絶クリニックの前で祈っただけで逮捕されたこともあります。暴動でも暴力でもなく、ただ祈っただけです。

中絶の問題は、宗教的信念と世俗的価値観の対立を伴うと考えられがちです。そのため、賛否両論があり、感情的になる人もいます。しかし、中絶は個人の感情だけで決められるような問題ではありません。この問題を明確に理解することは、宗教に対する感情によって左右されるものでもありません。 無神論者であっても、理性だけで中絶がいけないことだと理解することができるはずだからです。 (例えば、こちらのウェブ・ページ、Secularprolifeをご覧ください。)

生と死の選択は、政治的な正しさや宗教的教義だけではなく、人間の本性に左右されるものです。生命を選択することが過激派とみなされるような世の中になってはならないのです。

自然法と神の意志に基づき、すべての命が神の御心になるよう強く願います。

Image: Virgin Mary and baby Jesus

赦しの十字架(パードン・クルシフィクス)-ピオ10世に免償された十字架

カトリックには、長い教会の歴史のなかにうずもれてしまい、見向きもされなくなってしまった宝物が沢山あります。コンバット・ロザリオ(スイス衛兵公式のロザリオ)生みの親であるリチャード・ハイルマン司祭は、「悪魔が何かを憎むとき、単にそれを人々から隠そうとする」と述べています。信徒に、あまり知られていない赦しの十字架も、そのような宝物の一つです。

この十字架の起源は不明ですが、1904年にフランスの司祭たちが、マリア議会(Marian Congress)にて、ある枢機卿 にこの十字架を紹介したことがきっかけで知られるようになりました。その翌年の1905年、この十字架は教皇ピオ10世によって免償符として公布され、この十字架への献身が奨励されました。

赦しの十字架には、十字架の脇に聖母マリアのメダイ、そして聖ベネディクトのメダイがおかれることもあります。これらの聖具のうち、一つでもあれば悪魔にとって憎むべきものですが、三つを組み合わせることで、悪に対する強力な武器になります。

赦しの十字架の祈りと免償符

赦しの十字架は、、他の免償符と同様、告解後の苦行の軽減を提供するもので、罪の免除を提供するものではありません。免罪ではないので、お気を付けください。私は、一瞬免罪かと思い(これで告解にいかなくてもよい)と軽率なことを考えてしまいました。

16世紀初頭、免償符の正確な意味に混乱がありました。そのため1563年のトレント公会議で他の多くの問題とともに、この問題も明らかにされました。それ以来、免償符は「すでに罪が赦されている罪による、一時的な罰を神の前で免除するもの」と明確に定義されています(『カトリック教会カテキズム』1471条)。

赦しの十字架に、教皇聖ピオ10世は以下の免償を与えています

§ 赦しの十字架を身につける者は、それによって免償を得ることができる。

§ 敬虔に赦しの十字架に接吻することにより、免償を得ることができる。

§ この十字架の前で次の呼びかけのいずれかを行う者は、その度ごとに免償を得ることができる

  • 天にまします我らの父よ、我らに罪を犯す者を我らがゆるすがごとく、我らの罪をもゆるしたまえ
  • 聖マリア、私のために神である主にお祈りください

§ この十字架に、常日頃より献身的信仰をもち、告解と聖体拝領の必要な条件を満たす者は、誰でも、次の祭日に全免償を得ることができる。: 主の五つの傷、聖なる十字架の発見、聖なる十字架の日、無原罪の御宿り、聖母マリアの七つの悲しみの祭日に、である。

§ 死の間際に、教会の秘跡を受けた者、あるいは秘跡を受けることができないと思い、心を痛めた者が、この十字架に接吻し、神に自分の罪の赦しを求め、隣人を赦すものは誰でも全免償を得ることができる。

教皇が言及した祝祭日は以下の通りです。

  • 2/6 (リスボンのみ灰の水曜日の次の金曜日となる)主の聖なる五つの傷の祭日
  • 5/3  聖なる十字架の発見の祭日
  • 9/14 聖なる十字架の日の祭日
  • 12/8 無原罪の御宿りの祭日
  • 枝の祝日の前にある金曜日、そして9/15の聖母マリアの七つの悲しみの祭日

そして、こちらもあります。

1905年6月の教皇の詔書、ルマン修道院長方々様、

枢機卿、そしてマリアン議会様へ

免償省の聖なる修道会の総長様へ

この十字架に敬虔に接吻し、貴重な免償を得る信徒には、以下の意図を視野に入れることをすすめます。

私たちが主と聖母への愛をあかしとすること、私たちの聖なる父、すなわち教皇への感謝の気持ち、自分の罪の赦しを乞うこと、煉獄にいる魂の解放、世界諸国の信仰への回帰、キリスト教徒間の赦し、カトリック信徒間の和解。

1905年11月14日の別の教皇詔書により、教皇ピオ10世は、赦しの十字架にあたえられた免償は煉獄にいる魂に適用されると宣言しました。

なくされた免償符である赦しの十字架

1968年6月29日(聖ペトロと聖パウロの祝日)付けで、パウロ6世は『免償符の手引き書-The Handbook of Indulgences』を出版しました。

その本の冒頭近部分には、こう書かれています。「 新しい手引き書(Enchiridion)に載せられていない、すべての一般的な免償符の付与、および教会正式教義本(Codex Iuris Canonici)の免償符に関するすべての法律は、抑制される…」としています。つまり、新しい手引書に載せられたものを除き、すべての免罪符が取り消されたという意味になります。

2冊のうち、厚い本が第2バチカン公会議以前の「免償符の手引き書」で、薄い本が第2バチカン公会議以降の「免償符の手引き書」です。免償符の数が激減していることがわかります。残念ながら、赦しの十字架は新刊には収録されていません。

しかし一方で、赦しの十字架(他の十字架と同様)、聖母マリアの奇跡のメダル、聖ベネディクト・メダルはいずれも強力な聖具です。聖人への祈りや十字架の前で祈ることには、依然として免償の恩恵があります。つまり、赦しの十字架は、時にあるそれに付属するメダイも含め、大きな精神的な宝物を形成しているのです。それは神からの祝福であり、偶然という名の必然であると私は信じています。

スカプラリオに入れられた赦しの十字架

この十字架を知るきっかけとなったのは、ある司祭が日本から私に送ってくださったおかげです。この十字架について、私はいままで聞いたことがなく知りませんでした。先ほども述べたような、三つの強力な聖具が一つになった十字架は、家族の問題を慢性的にかかえている私をとても力づけてくれました。

また送っていただいた十字架は、カルメル山聖母のスカプラリオに入れられていました。赦免の十字架をどのように身に着けても良いと思いますが、スカプラリオに入れるというのはとても良いアイディアだと思います。得に私のように金属アレルギーがあると、身に着けるときアレルギーの心配をせず身に着けることができ、スカプラリオのさらなる恩恵をいただけるからです。本当に感謝でいっぱいです。

この十字架は、もはや公式な免償符ではありません。それでも象徴的に、主を十字架に携えています。この強力な秘跡である赦しの十字架がより広く、人々に知られるようになることを心より祈ります。

Source for Papal documents: The Pardon Crucifix | Catholicism Pure & Simple (wordpress.com)

悪魔の嫌うラテン語:祈りの宝庫ラテン語ミサ

経験豊かなエクソシスト、ゲイリー・トーマス師は「悪魔はラテン語を嫌う」と断言しています。そして、この意見は、彼自身と他の人々の経験に基づくものだと付け加えています。(こちらをご覧ください)

教皇フランシスコの自発教令、トラディチオニス・クストデス(Traditionis Custodes)の実施後、ラテン語ミサに参加することはさらに難しくなります。バチカンでは、ラテン語ミサの数を減らすことを最優先課題としているようです。しかし、実は伝統主義者の数は非常に少なく、最も多い教区ではミサ参加者の2.5%、その他の地域では平均1%程度となっています。-ナショナル・カトリック・レジスター

聖なるものはすべて悪魔の脅威ですが、伝統的なラテン語ミサの諸要素は、実に強力なものであるに違いないといえます。どうやら、伝統的ミサに教区民の1~2%でも参加することがあれば、悪魔にとっては耐え難いことであり、何としてでも消滅させたいようです。

祈りに集中できるラテン語ミサ

私はアメリカに来てからラテン語ミサに参加するようになりました。それまではノブス・オルド(1969年に公布された新しいミサ形式)に参加していました。ですから、渡米前の私は、ラテン語ミサについてほとんど何も知りませんでした。

しかし、ラテン語のミサに参加し続け、徐々に慣れてくると、ラテン語のミサの方が、ノブス・オルドのミサよりも祈りに集中できることに気づきました。

ノブス・オルドのミサは、口語的な言葉で行われ、世俗的な音楽が使われることがほとんどです。私がノブス・オルドのミサで集中できなかった理由のひとつは、そういう世俗的な音楽が原因でした。私が通っていた教会では、「民族音楽」と呼ばれる音楽でしたが、実際には、何世紀も前の民族音楽が使われているわけではありません。ポップミュージックや、下手なミュージカルで聞くような音楽です。そのような音楽は、私の祈りの妨げになることが、度々ありました。

ノブス・オルドでの祈りづらさ

これは例えば、歌詞やメロディーを聞いていて、「アレルヤは言わないはずのレント・シーズンでなぜ、レントにふさわしくないアレルヤの曲?第二バチカン以降、気にしなくなったのかしら?何でこんな明るい曲を選曲したのだろう?」と、典礼の意味にそぐわないことばかり考えてしまうことにもあります。挙句の果てに「あ、今ギターの人コードまちがえたようだ」などと思い始めると、もうおしまいです。祈りに全く、集中できなくなってしまうのです。

ミサでは、神に祈り、神と交わることに集中しなければなりません。それは、どんなに良いときでも簡単なことではありません。神秘性を感じられない、ガチャガチャとした音に気を取られてしまうのです。伝統的なミサには静けさがあります。その中で、私たちは祈りに集中することができるのです。

本来のミサであるラテン語ミサでは、祈りであるグレゴリアン聖歌が歌われていました。聖書のなかでは悪魔に対抗するために「神の武具を身につけなさい」(エペソ6:11)と述べています。「神の武具」すなわち祈りです。伝統的ミサでのグレゴリアン聖歌は、言い換えれば何世紀も続いてきた伝統的ミサの「祈り」の宝庫の一部なのです。世俗の世界で楽しむための音楽と、神への祈りのための音楽は、根本的に違うのです。

神の祭典にふさわしいラテン語ミサとグレゴリア聖歌

なぜ、このような世俗的なミサが推奨されるのでしょうか。民族音楽を使用したミサ、通称フォーク・ミサに合わせた音楽は、簡単で楽しく歌えるようなタイプのものがほとんどです。歌いやすい歌に気楽な雰囲気のミサは、誰でもすぐに気負いなく参加できるという利点がある、と典礼者改革者たちは考えたのでしょう。

しかし、そのような気楽な雰囲気は、果たしてミサにふさわしいのでしょうか。私は、神が祭壇に臨まれる、この世で最も神聖な活動であるミサは、もう少し厳粛に祝うべきものである、と考えます。もっと静寂がふさわしいのではないでしょうか?簡単な音楽が好ましいと思うなら、週7日、教会のミサの時間以外の日常生活のなかで楽しめばいいだけの話なのですから。世俗の娯楽としての音楽と、神への祈りのための音楽とは根本的に違うのです。 

聖書では、悪魔に対抗するために「神の武具を身につけなさい」(エペソ6:11)と教えています。神の武具の一部は祈りです(エペソ6:18)。伝統的なミサのテキストは、教会が何世紀も前から持っている祈りの宝庫の一部なのです。ラテン語ミサの古くからのオリジナル音楽であるグレゴリオ聖歌は、旋律の形をした祈りです。旋律はゆっくりと動き、祈りの言葉の意味をより深く感じさせてくれるのです。

Missa cum jubilo – Kyrie – YouTube 主よあわれみたまえ

グレゴリオ聖歌の不思議な体験

私は以前、ラテン語ミサのグレゴリオ聖歌に参加したことがあります。そして一度、世俗音楽とグレゴリオ聖歌の違いを実感する不思議な体験をしたことがあります。

ある土曜日、私は翌日(日曜日)に歌う予定のグレゴリオ聖歌の練習をしていました。練習をギリギリまで先延ばしにしていたのです。グレゴリオ聖歌の旋律の動きは独特で、現代音楽とはまったく違います。そのため、いつも覚えるのに苦労していました。その土曜日は、日曜日のミサに間に合わせるために、一日中、何度も何度も聖歌の練習をしていました。それでも、夜には、なんとか自分の聖歌を歌えるレベルまで持っていくことができました。夫に「一日中グレゴリオ聖歌を練習して、全身が祈りで満たされている」と冗談を言ったのを覚えています。

(やっとリラックスできる )と思いながら、私はお茶を飲んでいました。そして、ちらっと夫を見ると、インターネットで趣味のことを調べているようでした。それを見た瞬間、突然、経済的な負担を考えずにのんびりしている夫に対して、怒りがこみ上げてきたのです。

心の底から、ほぼ100%夫が悪いと思っていたので、怒りが支配して、すぐに憎しみに変わったのを覚えています。頭の中に憎しみの悪魔的なイメージが浮かび、体中の血液が毒されているような気がしました。

心のどこかで、(この異常な怒りはおかしい。危険だ )と感じていました。しかし、それでも私は(そうだろう。この怒りは正義なのだから。だから、こんなにひどくなったのだ)と、自分に言い聞かせ、心の警告を無視していました。その一方、(この怒りを神様が受け止めてくださいますように)と一瞬だけ祈ったのです。それはほんの一瞬であり、利己的な理由でした。(明日は日曜日だけど、この怒りでは、おそらく聖体拝領に値しないだろうな)と心の中で思ったのです。

すると、思いがけないことが起こったのです。突然、私の心の中に、憎しみとは正反対のやわらかい感情がわき上がってきたのです。恐らく神の愛だったのだと思います。怒りが薄れてくると、自分の頑固さ、人を信用しない、怒りしかもとうとしない自分の姿が見えてきたのです。また、困難な状況は呪いではなく、神からの贈り物であることに気づかされました。私に必要な忍耐力を強めてくれていたのです。そして、私の最大の怒りは、夫や困難な状況を経験しなければならなかったことではなく、困難な状況にある私を見ているだけの神に対するものだと気づいたのです。

その後、自分の意志と関係なく、しばらくは涙が止まりませんでした。そして強い眠気に襲われ、その後すぐに眠りました。そして翌朝は、心身ともに、とてもすっきりとし、目覚めることができました。

グレゴリオ聖歌を合唱しているとき、私たちは古い時代の祈りを生き生きと再現しています。証明はできませんが、グレゴリオ聖歌とラテン語の祈りの神秘的な力が、私の心の奥底に潜んでいた悪を浄化してくれたと信じています。

進むグレゴリオ聖歌の普及

伝統的ミサは、古くから受け継がれてきた祈りと、それを補完するグレゴリオ聖歌で構成されています。しかし、今、バチカンは、この伝統的ミサを極力排除しようとしています。本質的な問題は、バチカンが伝統的なミサを制限することで、その中にある神との交わりを育む古くからある祈りも制限していることです。一方で、少なくとも私の小教区の教会では、ラテン語ミサが廃止された今、ノブス・オルドのミサには、以前にも増してグレゴリオ聖歌が多く取り入れられるようになりました。これは大変興味深いことです。今後、どうなるのかは神のみぞ知る、ですが、ラテン語ミサの恩恵を受けることが難しくなった今、私たち一人一人が神を信じ、より一層信仰を深めていく必要性を強く感じています。

イタリア大聖堂にあるグレゴリオ聖歌本の画像: Dreamstime