ゆるしの秘跡の守秘義務は守られるべきか

最近のニュースで、「ゆるしの秘跡」で明かされる情報の守秘義務について、論争があります。このような守秘義務は、告解の封印(カトリック用語)、聖職者懺悔の特権(法) として知られています。この論争は、告解室で聞いた告白が、性的虐待に関する場合、司祭に警察への報告を、法的に義務付けることが望ましいかどうかというものです。以下はニュースの概要です。

ワシントン州とバーモント州では、カトリックの司祭の守秘義務を認める民法を撤廃するかどうかが検討されている。それを受け、ワシントン州スポケーン教区のトーマス・ダリー司教は、今週、ワシントン・エグザミナー紙のインタビューに対し、州議会で提案された法案(HB1098)が制定されれば、カトリック聖職者は遵守を拒否するだろう、と語った。- 3月3日付 ライフサイト・ニュース

ゆるしの秘跡の守秘義務は交渉不可能 

トーマス・ダリー司教は、そのような法案が制定されてた場合、告解の封印を破るくらいなら、刑務所に入ると宣言しました。また、同僚のカトリック聖職者たちも同じことをする、と確信していると付け加えました。さらにダリー司教は、「秘跡を破ることは、交渉可能な問題でない」と断言しています。

※3月8日付、アメリカン・マガジンによると、ワシントン州とデラウェイ州では、この法案が法律化されるかどうかは数週間以内に決定するとあります。

同じくデラウェア州ウィルミントンでも、司祭が秘跡を破ることになる法案を通そうとしています。ウィルミントン教区の司教も、断固とした態度で臨んでいます。

ウィルミントンのウィリアム・E・ケーニッヒ司教は、秘跡に反対する法案が提出されているにもかかわらず、懺悔室の封印は「いかなる状況においても破られることはない」と明言している。- 3月9日付 ライフサイト・ニュース

※3月8日付のデラウェイ・ニュースによると、この法案が、法律化されるかどうかは数週間以内に決定するとあります。

※いずれも、3月8日以降、まだ情報が更新されていないようです。

2019年カルフォルニア州議会においては、司祭が告解室で聞いたある種の情報を義務付ける法律を制定しようとしました。その試みは失敗しました。前例から考えると、今回も失敗する可能性が大きいのでは、と予測されますが、また誰かが同じことを試みないとは確信はできません。司祭の仕事を妨げる同様の試みが、今後、立法府に入る可能性は高いといえます。

A Church Interior with Women at the Confessional 1863
Ludwig Passini

ゆるしの秘跡の守秘義務は不要なのか?

一方、ある司祭は、聖職者のもつ守秘義務の特権を、撤回する考えを支持しました。以下は、その概要となります。

ウィスコンシン州ミルウォーキの引退したカトリック司祭、ジュームス・E・コーネル司祭は、守秘義務を認める特権を撤回する考えを支持する論説を執筆した。ウィスコンシン州のジェローム・リステッキ大司教は、コーネル司祭の不穏な働きを嘆き、彼から秘跡をあたえるすべての権限を剥奪した。- 3月23日付 ライフサイト・ニュース

ゆるしの秘跡をおこなう権利は、司祭の大司教、もしくは司教から与えられます。したがって、コーネル司祭は世界中どのカトリック教区においても、告解を聞くことができなくなるのということです。もしコーネル司祭が(あるいは他の司祭が)告解の封印を破った場合、自動的に破門されることになります。

司祭を通し、神に罪を告白する告解の秘跡は、世間が考える「告白」とは異なるものです。司祭をとおしてさずかる罪のゆるしは、魂の救いを伴うものだからです。秘密を明かさなかったため、殉教した司祭もいるのです。そして、いかなる状況であれ、告解の封印を破った司祭は、自動的に破門になります。

私は、リステッキ大司教が、コーネル司祭の権利を剥奪したことは、彼が破門になる危険をなくすためでもあったと考えます。そして告解の内容が秘密にされるという確信は、信徒に、魂の救いである秘跡を受けることを、勇気づけたのではないかと思います。

告解の内容に報告義務を課す法案:弁護士の考察

倫理・公共政策センター(Ethics and Public Policy Center)が発表した記事の中で、300以上の宗教団体などの権利を擁護してきた、優れた訴訟弁護士であるエリック・クニフィン氏は、ワシントン州、バーモント州、デラウェア州の法律案について、次の3つの大きな問題点を指摘しています。

1) 提案された法律は、政府が司祭に告解室での封印を解くよう強制できると誤って推定している。現実には、これらの法律が成立した場合、司祭が「州に証拠を突きつける」のではなく、神父が刑務所に収監される結果となる。

2) 提案された法律は、告解室の封印を解くことで、子供たちがより安全になると誤って推定している。現実には、これらの法律が成立すれば、虐待者(および他の罪人も同様)は告解から遠ざかる傾向がある。その結果、子どもたちはより安全でなくなる。

3) 提案された法律は、宗教を差別している。提案された法律は、聖職者の秘匿特権(すなわち告解室の封印)を攻撃するが、弁護士と依頼人の秘匿特権(弁護士は依頼人が話したことを明らかにしない)については言及しない。つまり、この法律案によれば、世俗的な理由であれば秘密はOKで、宗教的な理由であれば秘密はNGということになる。これは宗教に対する差別であり、違憲である。

宗教的な信仰を守ることも重要である。そのどちらか一方を優先させるのが議員の仕事ではない。両者を両立させるために、配慮と尊敬をもって努力することだ。

ボストン・グローブ紙のコラムニスト、ジェフ・ジャコビー氏が最近書いた「子供を守ることは極めて重要な問題である」という言葉を引用して、クニフィン氏は締めくくっています。

このような法案は、宗教の自由を脅かすものです。破門か逮捕かの二者択一を司祭に強いるような社会になってはならないのです。

ゆるしの秘跡の暴露本


前述したように、告解室は厳重な機密保持の場です。

2年前、そんな告解室の秘密を暴くような本が出版されました。フランス、ヴァンサン・モンガイヤール著、「私はあなたの罪をすべて許します」(Je Vous Pardonne Tous vos Péchés)です。この本は、40人の神父が聞いた告白の実話を集めたものです。この本のためにインタビューを受けたある司祭は、教会の法律に違反しないように、告白の個人的な詳細はすべて変更されていると説明しています。

ハーパーズ誌が翻訳した抜粋は、50代のカップルのコミカルな告白から、犯罪者に赦免を与えた後のある司祭の後悔まで、多岐にわたります。

私の印象では(私が読んだ抜粋だけでは)、告白のほとんどは、人々が犯す一般的な誤り(例えば、その多くは夫婦間の不貞に関わるもの)についてのものだと思われます。この本が教会法に違反していないとしても、私は、このような話を明らかにするよりも隠す方が、ゆるしの秘跡の尊厳にかなうと思います。

ゆるしの秘跡についての司祭からの指摘

ライフサイト・ニュースのインタビューで、神秘主義者としても知られる、ミッシェル・ロドリゲス司祭が、私たちが直面している霊的な戦争について話しています。そして、祈りとともにゆるしの秘跡を受ける、ということの大切さを強調しています。ゆるしの秘跡について、ロドリゲス司祭は、次のようにアドバイスしています。

1)小さな罪(小罪)から大きな罪(大罪)まで告白する。(自分がしてしまった罪の告白)

2)あなたがすべきであったのに、しなかったことを告白する。

私は今まで2)の、すべきであったのにしなかった、ということにはあまり注意を払っていませんでした。「やらなかった」という単純な事実は、七つの大罪の一つである「怠惰」ではないかと思い至りました。

仕事をし、忙しくしているからと言って、怠惰の罪から解放されるわけではないのだ、と知っています。その一方、神の恵みによってのみ気づくことができる、霊的な怠惰の罪は、やっかいだ、と感じています。

第二バチカン公会議以降、告解に行く人の数は減ったと言われています。私はゆるしの秘跡をさずかり、心と体が軽くなった経験を何度もしています。私だけではありません。私のプロテスタントであった知人も、改宗し、はじめてゆるしの秘跡を受けたあと、文字通り背中から大きな荷が降りたような軽さを背中に感じたそうです。

マザーTは、いつも私に、祈り、ゆるしの秘跡にあずかることが、いかに大切かを話してくれていました。私たちは、このような神秘的秘跡をさずかれる恩恵を見逃すべきではないのです。

告解の封印と宗教の自由

米国では、国家と教会の間の亀裂がますます大きくなってきています。先に述べたように、最大の問題は、教会の信教の自由を脅かす圧力です。圧力には、カトリック系病院に中絶を行わせる法律、教会関連団体に従業員が使用する避妊具を負担させる法律、カトリック養子縁組機関に同性カップルの養子縁組をさせる法律、(現在)聖職者の懺悔特権を剥奪する法案などです。

告解の封印を解くことを司祭に要求するという話は、女性の「聖職化」を支持する人々を思い起こさせます。

1994年、教皇ヨハネ・パウロ二世は、「教会には女性に司祭叙階を授ける権限は一切ない 」と宣言しました。今回の聖職者の特権の剥奪に関しても「教会にはそれを行う権限はない」のです。告解の印は教会法であると同時に「神の教え」であり、教皇自身が変えようと思っても変えることはできないものなのです。

ところが世俗国家は、カトリック教会とは、世俗的国家から独立した権利を持っている、という事実をすんなりとは受け入れてはくれないようです。

この問題で「児童性的虐待」という言葉を持ち出す本当の目的は、人々の感情を揺さぶり、この法律案が、実際には変えられないものを変えようとしている、という事実に目をつぶることなのです。この法律案は、児童虐待を防止するためのものではありません。宗教の自由に対する攻撃、秘跡に対する攻撃、教会に対する攻撃に他なりません。

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