聖ジャンヌ・ダルク:オルレアンの乙女(1)

フランスの国民的英雄であるジャンヌ・ダルク(1412-1431年頃)は、1920年、ベネディクト15世によりカトリックの聖人として列聖されました。彼女の祭日は5月30日(地域によっては5月31日)です。ジャンヌのドラマチックな人生は何度も映画化、書籍化されていますから、彼女がどのようにフランスを救ったかを聞いたことがある人も多いでしょう。捕らえられ火刑に処さられてから約600年経ちましたが、ジャンヌは、今もなおフランスだけでなく世界中の人々を魅了し続けています。

ジャンヌの生きていた時代の歴史的背景

ジャンヌの時代のフランスは、強い政治的権力をもつ王のもとで急速に発展していました。けれども同じように王権の力が強化されたイギリスでは、エドワード3世が、母がカペー朝出身であるということを理由に王権を主張し、100年戦争(1337-1453)がはじまります。さらに、ブルゴーニュ公フィリップ3世とヴァロワ王シャルル7世は、100年戦争の間、フランス領土の支配権をめぐって争っていました。

ドムレミ村での生活:予知夢を見たジャンヌの父

ジャンヌがまだ幼い頃、父親はジャンヌに関する夢を見た。父親が見たのは、娘が軍隊と一緒に旅をしている姿だった。目が覚めたとき、彼は彼女の兄弟たちに、もしこんなことがあったら、彼女を溺死させるよう頼み、彼らが拒否したら自分がやる、と言った。(Mary Gordon, Joan of Arc: A Life)

ジャンヌ・ダルクは、おそらく1412年1月6日の公現祭に生まれたと思われます。父はフランス北東部のドムレミ村の農民であったジャック・ダルク、母はイザベル・ロメで、ジャンヌは敬虔なカトリック教徒として育てられます。彼女は自由時間のほとんどを、教会で過ごしていたそうです。またジャンヌの事を知る司祭が伝えたところによると、しばしば告解に来る少女だったそうです。(SAINT JOAN OF ARC

もし、ジャンヌが公現祭に生まれたとしたら、興味深い事実です。公現祭は、賢者が贈り物を携え、王であるキリストに捧げに行った日だからです。神の導きのもと、未来の王に謁見し、戴冠式に導くため、ドムレミ村を出てシノンに向かったジョアンの人生を象徴しているようです。父親の夢、そして彼女の生まれた日など、ジャンヌに関する不思議な神の導きは、すでに始まっていたようです。

不思議な声に導かれたジャンヌ

1425年、ジャンヌが13歳頃のことです。

ブルゴーニュとイギリスの軍隊がドムレミ村から家畜を追い払うと、教会を略奪し、焼き払いました。同じ年のある夏の日、ジャンヌは、家の庭ではじめて不思議な声を聞きます。はじめは恐れをいだいたジャンヌですが、後にその声は本物で、自分を導くために神が遣わしたものだと信るようになります。(SAINT JOAN OF ARC

ヨハネ14:21にわたしを愛する人は、わたしの父に愛される、とあります。ジャンヌの神への深い愛ゆえに、神は彼女に特別な恩恵を与えました。その恩恵とは、フランスに奇跡的な勝利をもたらす戦いに彼女が赴くことだったのです。

シャルル7世に謁見したときの不思議な逸話

1428年、ジャンヌは王太子(フランスの王位継承者)に謁見するために、地元の軍司令官ロベール・ド・ボードリクールに協力を求めました。彼女は、王太子をフランス王として即位させるという、神から受け取ったメッセージを伝えたいと考えていたからです。

はじめは相手にされなかったジャンヌですが、1429年2月12日のルーヴレイの戦い(ヘリングスの戦い)でフランス軍が敗北することを預言し、一部の高官から信頼を得ることに成功します。そしてついに、聖ミカエル、アレクサンドリアの聖カタリナ、アンティオキアの聖マルガリタから託された使命を果たすべため、フランス王太子シャルル7世にシノンで謁見を許されたのです。

当時、王太子は、戴冠式よりも戦いのほうが重要だとかんがえていました。その理由のひとつは、伝統的な戴冠式会場であるランスが敵地にあったからです。ジャンヌに会うことに気のすすまなかった王太子は、彼女に見つからないように廷臣の中に隠れていました。

ところが、思いがけないことが起こったのです。ジャンヌはすぐに、隠れている王太子を見つけだしたのです。そして臆することなく、王太子に戦いをやめてほしくないこと、主が助けを送ってくださること、王国は主のものであること、主は王太子が王になることを望んでおられることを告げました。さらに、オルレアンを解放し、王太子が戴冠するランスに進軍するという、神から与えられた自分の使命を明らかにしたのです。

神から託された使命を王太子に伝えたこの逸話からは、ジャンヌの信仰の強さが印象づけられます。この時代、女性が人前で発言できる数少ない機会のひとつが、神から与えられたメッセージを語るときでした。このような社会的背景を考えると、ジャンヌが本当に、神の声に従っていると信じていたことが理解できます。

ジャンヌの外見とは?

ジャンヌの時代、彼女のような庶民出身の人物が、画家により描かれる習慣はありませんでした。恐らく、そのような時代であったことも関係していたのでしょう。直接彼女に会った画家が描いた、ジャンヌの肖像画は残されていません。

私たちが知ることができる彼女の外見は、わずかに残された記述からのみです。ジャンヌの身長は約5.2フィート(約158Cm)で、首の短い筋肉質の頑丈な体をしており、髪は黒く短く切られ、真面目そうな黒っぽい色の大きな目に、日に焼けた肌をしていたと伝えられています。また、離れ気味の目をしていたともあります。

以下のビデオでは、歴史的記述を元にし、ジャンヌの姿を再現しています。

Joan of Arc Brought to Life| Her Story & Face Revealed | Royalty Now

シャルル7世の侍従長ド・ブーランヴィリエによると、ジャンヌは、重い鎧を着たまま、六昼夜過ごすことが出来るほどの体力があったそうです。彼女が、後世、ロマンチックに描かれたような娘ではなく、頑丈な農民の娘であったことがわかります。

ジャンヌと聖人たちとの共通点とは?

ジャンヌと彼女に現れた聖人たちと間には、偶然とは思えないような共通点が見られます。たとえば、アンティオキアの聖マルガリタは、男装して修道院に入った女性で、犯してもいない罪のために洞窟に幽閉された聖人です。ジャンヌも男装して魔女とみなされ、投獄されています。 メアリー・ゴードン著『ジョーン・オブ・アーク:ア・ライフ』の中で、三聖人が剣を持って表現されているように、ジャンヌは女性でありながら剣を取り、戦ったことに触れています。

1429年5月8日:神の名のもと勝利したオルレアンの戦い

1429年4月初旬、シャルル7世はジャンヌに軍の指揮を任せました。彼女は鎧と剣を手に入れると、イエスとマリアが描かれた旗を作らせます。そして、パリから南西に74マイル離れた城壁都市オルレアンに向けて出発しました。

The Siege of Orléans | Joan of Arc | Jeanne-darc.info

このとき、オルレアンの軍司令官であるデュノワ公は、戦闘経験のないジャンヌに助言を与えていました。しかし彼女は、主の助言は彼よりも安全で賢明であり、聖ルイと聖シャルルマーニュの取次により、主はオルレアンを悲惨と抑圧から解放してくださると説きます。

さらにジャンヌは、反対する軍隊の隊長たちを説得し、神の導きに従ってトゥーレル砦を攻撃しました。この戦いでジャンヌは傷を負いながらも、大勝利を収めます。実は、彼女は自分が戦場で負傷することを事前に予見していたことが記されてます。それにもかかわらず、迷うことなく戦場に向かったのです。

橋が落ちることを予見していたジャンヌ

「勇気を持って!後退するな。もう少しで、その場所はあなたのものになる。見ていなさい!風が私の旗を防波堤に吹き付けるとき、あなたはそれを手にするのだから!」オルレアンの橋の攻防で、共に戦う兵士たちにジャンヌが言った言葉です。(In her own words | Joan of Arc | Jeanne-darc.info)

橋の襲撃の際、彼女は、壊れた石橋の隙間に架けられていた仮設の木橋が長くはもたないことを予見していました。ジャンヌは、彼らへ戦いを挑むため、その木橋を渡ろうとしていたイギリス軍に止まるよう警告しています。しかし、イギリス軍は彼女の忠告を誤解し、ジャンヌたちが自分たちを恐れていると勘違いしました。彼らは前進を続け、木製の橋はイギリス軍の重さに耐え切れず落下し、重い鎧を着ていた彼らは溺死してしまったのです。言うまでもなく、イギリスにとってこの不幸な出来事は、フランス軍を優位に立たせることになります。 (この戦いについては、こちらのビデオで詳しく解説しています。)

そしてついに、フランス軍はオルレアンの奪還に成功します。この勝利は、フランスにとって100年戦争の大きな転機となりました。それ以来、彼女は 「オルレアンの乙女 」として知られるようになったのです。

ジャンヌ最愛の旗

ジャンヌは戦場で戦うより、兵士を鼓舞するために旗を持っていたようです。旗は、戦場の混乱の中で、味方の兵士を結集させるためにも重要でした。

1431年の裁判では、ジャンヌの旗に関する記述が残っています。

「私には旗があり、それを戦場で掲げていました。その旗には百合の絵が描かれていました。そこには世界を抱くキリストの姿があり、キリストの両脇には天使がおかれていました。ブカサンと呼ばれる白い布で、その上にはイエズス・マリアと書かれ、私にはそう(書かれているように)見えたのですが、そしてそれは絹で縁取られていました。」(Banner | Joan of Arc | Joan-darc.info).

ジャンヌは剣よりも、イエスとマリアが描かれたこの旗を気に入っていたと伝えられています。残念ながらこの旗は、フランス革命の際の火事で焼失しています。

聖ジャンヌの神への熱烈な信仰

10恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。

11見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆
恥を受け、辱められ
争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。

12争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず
戦いを挑む者は無に帰し、むなしくなる。

— イザヤ 41:10-12      

神によってもたらされた彼女の功績は、イザヤ書の記述のようです。これまで私は、イザヤ 41:10-12  の語る内容は、男性にふさわしいような印象を受けていました。ジャンヌの功績を知ると、男性だから、女性だからという性の限界は幻想のように感じさせられます。

メアリー・ゴードン著『ジョーン・オブ・アーク:ア・ライフ』によると、ジャンヌと出会った人々は、それまでできなかったことができるようになり、自分が変化したと感じたといわれています。彼女の強い信仰心と熱意、そして神への絶大な信頼は、周囲の人々を鼓舞し、恐怖から解放したのではないでしょうか。

いずれにしろジャンヌは、最終的に、神の栄光という勝利を手にします。彼女を裏切り、処刑人のもとに送り込んだ人々は滅びましたが、ジャンヌは聖女ジャンヌとなり、今日も人々にインスピレーションを与え続けているからです。

1429年6月18日:パテーの戦い

オルレアンの戦いで勝利を収めたジャンヌは、すぐに王太子に勝利を報告すると戴冠式を行うよう促しました。しかし、伝統的な戴冠式の場所であるランスに到着するためには、パテーでイングランド軍を撃破する必要があったのです。ジャンヌは、ここでもフランス軍の大勝利を約束しています。そして、その言葉通り、パテーの戦いはフランスの圧倒的な勝利で幕を閉じたのです。

一方、ジャンヌはこの悲惨な戦争の現実を目の当たりにし、衝撃を受けました。ジャンヌが戦場で瀕死のイギリス兵の頭を抱え、死に際の告解を聞いたという話は、この事実を実証する逸話として後世に語り継がれています。

パテーの戦いで起きた幸運

戦いに勝利するきっかけとなった出来事は、森から突然鹿が飛びだしたことでした。イギリス兵が歓声を上げ、彼らの場所を知ったフランス軍が、奇襲攻撃で長弓隊を撃退できたからです。

当時のイギリス軍の戦力であった長弓隊は、フランス軍に甚大な被害をもたらしていました。ジャンヌの時代には、人々の記憶に新しかったはずの1415年のアジンコートの戦い(アジャンクールの戦い)では、数でも装備でもはるかに優勢であったはずのフランス軍が、ヘンリー5世の機知に富んだ戦略と長弓隊の激しい攻撃になすすべもなく敗北しています。

アジンコートの戦いで、兵を森に隠したヘンリー5世は、「どんな状況でも音を立てるな 」と軍に命じています。もしパテーの戦いで兵が声を上げなければ、イギリス軍は成功する可能性が高かったでしょう。当時のイギリス軍の強さを知れば、神の助けがなければ、フランス軍が戦いに勝利することは難しかったと考えることができるからです。一方、オルレアンの戦いが神の介入としか思えない不思議な出来事ばかりであるのに対し、パテーの戦いはそのようなことはなかったといえます。

パテーの戦いにおいて、フランス軍の勝利は、聖ジャンヌの祈りに応えた神の介入によるものなのか、フランス軍の戦略と武力によるものなのか、単なる偶然の産物なのか、それぞれの貢献度を正確に測ることができるのは、神のみだと言えます。

ロワール渓谷におけるジョアンとその部下たちの作戦:
6月10日にジャルジョーを占領、13日にオルレアンに再突入、15日にムングの橋を占領し、16日にボーガンシーを占領。そしてパタイでの輝かしい勝利で幕を閉じました。

Image: The Maid by Frank Craig

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聖霊降臨祭おめでとうございます!

聖霊のお祝いであるペンテコステ(聖霊降臨祭)が始まりました。聖霊は、風、火、鳩に象徴されます。ペンテコステでは、聖霊が、私たちに祝福をもたらしてくださるよう祈ります。

中世ヨーロッパでは、聖霊降臨の1週間をリラックスして過ごし、ペンテコステを祝ったと、司祭の説教で知りました。現在でも、多くのカトリック国では、ペンテコステ翌日(ホイット・マンデー)は国民の休日となっています。今年は偶然にも、アメリカでもペンテコステの翌日が、メモリアルデーなので、こちらもホイット・マンデーが祝日となります。

教会のはじまりと聖霊の異言

紀元33年ののペンテコステは、教会が始まった日です。集まった使徒たちに聖霊が恵みを与え、神が認める唯一の教会であるカトリック教会が誕生した日です。

Factus est repente (Gregorian Chant) (Chorał gregoriański)

1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ「霊」が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒2:1-4)

聖霊の恩恵は、火の舌で象徴され、外国語でも一瞬にして話せ、理解できるようになったとあります。この時、使徒たちが奇跡により話した言語は、その場にいたその言語を母国語とする人々に理解されたのです。

ペンテコステで聖霊が降臨した後も、異言を話す習慣(ギリシャ語では「グロッソラリア」)は、初代教会のある場所で続いていました。聖パウロはⅠコリント14章で、この話題についてふれています。

初代教会におけるグロッソラリアという現象が、具体的にどのようなものであったかは、現在では確かなことは分かっていません。ある人は、このような場合に話された言語は、神と天使以外にはまったく理解できないと考え、またある人は、異言の話者が、学んでいない外国語で話したが、それを聞いた他の人はそれを認識できたと考えています。おそらく、どちらか一方のケースである場合もあり、もう一方の別のケースだった場合もあったのではないでしょうか。

聖霊の7つの賜物

伝承によれば、聖霊には7つの賜物があります。以下はイザヤ書11章1~3節からの引用です。

聖霊の7つの賜物

1イエッサイの株からひとつの芽が萌えいで

その根からひとつの若枝が育ち

2その上に主の霊がとどまる。

知恵と識別の霊

思慮と勇気の霊

主を知り、畏れ敬う霊。

3彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。

目に見えるところによって裁きを行わず

耳にするところによって弁護することはない。

(イザヤ 11:1-3)

つまり、聖霊の7つの賜物とは—

  1. 知恵
  2. 識別(理解)
  3. 思慮(良いアドバイスを伝える、受け入れる)
  4. 勇気( 不屈の精神)
  5. 知識
  6. 敬虔さ
  7. 主への畏れ

イエッサイとはダビデの父で、ユダヤ人の最後の王であるイエス・キリストを含め、すべてのユダヤ人の王は彼の子孫です。「その上に主の霊がとどまる」とは、イエッサイの子孫は聖霊の祝福を受けるという意味です。

このイザヤの預言はイエスの洗礼(マタイ3:16)で、成就されています。

「イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」

聖霊と赤いバラの花びら

Climbing the Pantheon’s Dome on Pentecost – EWTN Vaticano

ペンテコステでは、ミサの際、信徒への手紙と福音の間に「ベニ・サンクテ・スピリトゥスー聖霊きてください」を歌唱しますが、その時に、教会の天井からバラの花びらを撒くという伝統的な習慣があります。このバラの花びらで祝う方法が、いつから始まったのかは不明ですが、聖書に登場する「火の舌」を象徴していると言われています

歴史と品格を備えたサンタマリア・アド・マティレス(=ローマのパンテオン)では、優美なミサにあずかることができる日です。サンクタ・マリア・アド・マルティレスでは、バラの花びらがペンテコステの象徴的な色であることから、毎年、聖霊降臨の日に人々は天井からバラの花びらを撒いています。空から降ってくる赤いバラの花びらは、何とも言えない美しさがあります。サンタマリア・アド・マティレスは、ペンテコステの日に、一度はミサにあずかってみたい場所です。

聖霊がもたらす平和と自由: 聖ホセマリア・エスクリバー

こちらの記事 (The secret to spiritual freedom and peace, according to St. Josemaria Escriva –Aleteia)でも解説していますが、オプス・デイの創設者である聖ホセマリア・エスクリバーは、神の愛のために自分を否定し、あらゆる利己主義と誤った安心から自分を切り離してこそ、平和と自由を経験できると説きました。この体験は、キリストが私たちのために勝ち取った恩恵であり、聖霊によって私たちに与えられる、と語っています。

記事の著者はさらに、「次に座って祈るとき、霊的自由から自分を遠ざけているものは何か、あなたが待ち望んでいる平安を見つけるためには、どんなことを『否定』する必要があるのかを考えてみてください 」と問いかけています

これは、私にとって耳の痛い言葉です。自分の生活を振り返ってみると、自分の意志、言葉、行いが神様の意志にそぐわないことがよくあるのです。特に、自分自身を捨てることは、難しいと感じています。

聖霊は思いのままに吹く

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3:8)

この聖書の言葉を読むと、いつも、聖霊が与えてくれる自由の素晴らしさを想像します。聖霊の恵みにより、この世の執着から解放され、霊的な自由を生きることができれば、そこには、風が吹き抜けるような爽快感があるのだろう、と感じるからです。

世俗への執着から解放され、自由な精神で生きることができるよう、聖霊の恵みを祈りたいと思います。

聖霊の週が、恵みに満ちたものでありますように。

image: The dove of the Holy Spirit-stained glass by Gian Lorenzo Bernini in 1660 in the apse inside St. Peter s basilica in Rome

ファティマの預言: 聖母の明かした三つの秘密(2)

ファティマの聖母は6回出現されており、ルシアに伝えられた聖母のメッセージは、カトリック教会では3つの秘密と呼ばれるものが含まれていました。アンドリュー・アポストリ司祭は、『今日のファティマ』のなかで、7月(第一の秘密)と10月の出現で明かされた秘密は、特に重要なものであると指摘しています。(Fatima for Today,p53)

第一の秘密-地獄の幻影(地獄が実在すること)

この秘密が3人の子供たちに明かされたとき、彼らは地獄の幻影を見ました。

「聖母は私たちに、人間の魂が苦悩と絶望の中で叫んでいる火の海の幻影を見せました。透明な人の形をした魂は、奇怪で見たこともないような動物の姿をした醜悪な悪魔たちとともに地底に永遠に閉じ込められていたのです。」 ( Wikiwandより要約)

聖書は、地獄が実在することを教えています。そして、神に背いた者が悔い改めない場合に行く場所である、地獄を描写した箇所がいくつかあります。 

例えば、『ヨハネの黙示録』には、地獄の炎に投げ込まれる死者の魂について書かれています。

「死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:14-15)。

マルコ9:47-48で、私たちの主は次のように言っています。

地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

この場合、主はイザヤ書66章24節を引用していますが、同じ記述がありながら、それが地獄を指しているとは明言していません。つまり、マルコ福音書の一節は、イザヤ書で暗示されているだけのことを明確にしているのです。ユディト記(続)16:17とシラ書7:17(続)も、悪人の刑罰を 「火と蛆(うじ)」と表現しています。

さらに私たちの主は、永遠に地獄に閉じ込められることを警告しています。

「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ』 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」(マタイ25:41、46)。

子供たち、特にフランシスコとジャシンタは、この地獄の幻を見た後、罪人の救いのために度々苦行をするようになりました。ジャシンタは、流行を追いかけようとする人たちに、「人は永遠の意味を理解すれば、自分の生き方を変えるために何でもする。永遠の主に従う教会は、流行とは無縁だ。」と訴えています。

同様の地獄の幻影を見た聖ファウスティナ

ポーランドの幻視者である聖ファウスティナ(1905-1938)も、、神により、地獄が実在することを証明するため地獄を見せられました。彼女が描いた恐ろしい幻影は、ファティマの子供たちが見た幻影と似ています。彼女は、幻視で見た地獄の炎を、恐ろしい苦しみをもたらす永遠の霊的な炎と表現しています。さらに、罪人が悪魔と共に、暗闇と、ひどい窒息臭の中で、永遠の苦しみに閉じ込められているのを見たと語っています。

恐らく多くの人々は、地獄に落ちるのはひどい罪を犯した人々だけだ、と考えているのではないでしょうか。実は、それほど単純ではありません。聖ファウスティナは地獄に落ちた多くの魂は、生前地獄を信じていなかった人々であった、と伝えています。地獄の存在を信じていなければ、神に対して罪を犯し、悔い改めることなく死んでしまう危険性が高くなるからです。

「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」(Ⅰコリント6:9-10)

神の国を受け継ぐことができない、つまり罪を犯したことに十分に気づかない、気づいても何もしない人は地獄へと落ちる確率が大きくなります。私は告解に行くかどうか悩むときがありますが、告解後、実は罪に鈍感になっていただけであった、と気づくことが度々ありました。

ファティマの聖母が強調されたように、悔い改め、神に立ち返り、許しを請い、神と和解すること、それこそが魂を救いに導きます。この事実と、地獄の現実に対する聖母の重大な警告は、真剣に受け止める必要があります。なぜなら、私たち人間は罪を犯し続ける生き物であり、地獄は、罪を犯したまま死んでいく者の行き着く先だからです。

第二の秘密 – 現代社会を形成する最も重要な出来事と動きについて

『第二の秘密』は2つのパートに分かれています。

聖母は、魂を救い、平和をもたらすために、無原罪の御心への奉献を確立することを望んでおられます。聖母は、戦争、飢饉、教会への迫害を防ぐために、ロシアがが無原罪の御心に奉献し、五つの第一土曜日に献身するよう求めています。その願いが聞き入れられるならば、ロシアは回心し、平和が与えられるでしょう。 (Wikiwandより要約)

第1部 

願い:無原罪の聖母マリアへの奉献と祈り。
預言: 第一次世界大戦の終結。
警告と予言: もし罪人が十分にしないなら、教皇ピオ11世の時代から再び世界大戦が起こる。

第2部:ロシア語の奉献と無原罪のマリアへの献身

願い:第一土曜日のファティマの聖母への献身。
予言: 多くの場所で飢饉が起こる。
警告と預言: もし教皇が全司教団と協力し、ロシアを無原罪のマリアの御心に奉献するなら、世界に平和が訪れる。そうでなければ、ロシアの誤りは世界中に広がり、カトリック教会への迫害につながる。

第二の秘密の第1部に関する聖母の預言は、第二次世界大戦に関する預言であったため、すでに成就しています。しかし、第2部の預言は、さらなる戦争を預言しているようで、それはこれから起こる未来である可能性が考えられます。

7月13日: 封印された第三の秘密

シスター・ルシアは聖母マリアから、時が来るまで第3の秘密を誰にも明かさないように、と警告を受けていました。そのためシルバ司教から、第三の秘密を文書で残すように言われたルシアは、どうすれば良いのか悩んでいました。

1944年1月、聖母マリアがルシアの前に現れます。

聖母マリアからルシアは「秘密の意味を理解したまま書き留めてはいけません。ただ、あなたが見たとおりに秘密を記述しなさい 。」と伝えられました。
ルシアは聖母の言葉に従い、第三の秘密を書き記し、その封書をシルバ司教に渡しました。その時、ルシアはシルバ司教に、ルシアの死後、もしくは遅くとも1960年には第三の秘密を開示するようにと頼みました。

1957年、シルバ司教は封印されたままの手紙をローマに届けます。しかし、1960年になっても、第3の秘密は開示されませんでした。

2000年、バチカンはついに第三の秘密を公開しました。2000年まで公開されなかったのは、ローマ教皇の暗殺を予言する内容だったからだと言われています。

第三の秘密:殺された司教

Wooden cross on the top of the mountain on sunset

第三の秘密における幻視は次のようなものでした。

聖母の左側、やや上方に、左手に炎の剣を持った天使が飛び、大声で「懺悔、懺悔、懺悔!」と叫んでいる。

幻の中では、数人の司教、司祭、修道士、修道女が、白衣を着た司教(おそらく教皇と思われる)とともに、頂上に粗末な十字架のある険しい山道を登っている。白い服を着た司教は、苦悩と悲しみの中で死者のために祈りながら、廃墟と化した大きな町を震える足取りで通り過ぎていく

山の頂上に到着した司教は、十字架の前にひざまずいて祈ったが、数人の兵士に殺されてしまった。司教、司祭、修道士、修道女、平信徒など、さまざまな身分の者が次々と殺され、そこで息を引き取った。十字架の両腕の下には、それぞれ水晶のアスペルソリウムを手にした2人の天使がいて、殉教者の血を集め、神への道を歩む魂に水をかけていたWikiwandより要約)

この幻の中の司教(教皇)は、1981年の5月13日(ファティマの聖母の祝日)に暗殺されそうになったヨハネ・パウロ2世を表していると考える人もいるようです。一方、教皇聖ヨハネ・パウロ二世は暗殺未遂から生還したのに対し、この幻の司教は生還しませんでした。『第三の秘密』に描かれた司教は特定の個人ではなく、象徴的な人物である可能性も高そうです。

多くの人が『第三の秘密』には公開されていない部分があると考えています。また、第一の秘密と第二の秘密には、それぞれ聖母の幻視と言葉による解説が含まれていますが、第三の秘密(バチカンによって公表されたもの)には、幻視のみが含まれており、解説はありません。

第一の秘密と第二の秘密のヴィジョンについて解説した後、なぜ聖母はこの難解な第三のヴィジョンについて解説をしなかったのでしょうか。そして、もし第三の秘密が単なる幻視(おそらく教皇の暗殺を示すもの)であったなら、なぜ1960年以降も秘密にされたでしょうか。

実はシスター・ルシアが『第三の秘密』を、2通の別々の文書に記録したという証拠もあるのです。 (さらに詳しくお知りになりたい方は、こちらの本をご覧ください。 Chapter 13 of the book The Devil’s Final Battle, by Fr. Paul Kramer.) 第三の秘密については、知れば知るほど、バチカンがその全貌を明らかにしたのかどうかが疑わしくなってくるのです。

10月13日:太陽の奇跡

歴史上初めて、預言者、もしくは先見者は、受け取ったメッセージが神からのものであることを証明するために、公共の奇跡を目撃するために、特定の場所と時間にすべての人々に集まるように求めていた。 (Fatima: The Great Sign by Francis Johnston) 。

10月13日、信者も信者でない人々も聖母の奇跡を目撃するために、ファティマのコバ・デ・イリアに集まりました。おおよそ4万人から8万人くらいが集まったと言われています。(正確な数は不明)この日は、前日から降り続いた雨で人々は雨に濡れ、地面はぬかるみ、どろどろの状態でした。

聖母マリアの出現を待ち、出現した小さな木の前で祈っていたルシアは、ふと自分の中に湧き上がる衝動を感じ、集まった人々にロザリオを祈るように告げました。人々がロザリオを祈り始めると、聖母マリアが3人の子どもたちに現れました。ルシアが聖母に何をしてほしいか尋ねると、聖母は「私はロザリオの聖母です。どうかここに教会を建ててください。毎日ロザリオを祈りなさい。やがて戦争が終わり、兵士たちが帰ってきます。」と答えました。

さらに、集まった人たちの癒しについて尋ねたルシアに、「癒される人もいれば、癒されない人もいるでしょう。人々は悔い改め、生き方を変える必要があります。」と伝えました。聖母は、また、これ以上主なる神を怒らさないことを警告しました。

これらのメッセージを伝えた後、聖母マリアは両手を開くと太陽の光を反射させ、天に昇っていきました。ルシアは、「太陽を見て!」と群衆に叫びました。その瞬間人々は、雲が開き、雨が止み、太陽が奇跡的に回転し、ジグザグに動き、急降下してくるのが見えたのです(Fatima for Today, p. 114) 。さらに不思議なことに、目撃者は、太陽が明るく輝いていたにもかかわらず、それを見ていた人々の目を痛めることはなかったと証言しています。 (Fatima for Today, p. 113)

太陽の奇跡を証言した自然科学教授

コインブラ大学の自然科学教授であるゴンザロ・デ・アルメイダ・ギャレット博士も、太陽の奇跡を目撃するためにそこにいました。この奇跡では、色とりどりの光が、ある人には見えたが、ある人には見えませんでした。ギャレット博士は、奇跡が起こったとき、周囲がアメジスト色に染まっていたことを証言しています。

太陽ははっきりと強く輝き、まるで光る円盤のようで、その縁はきれいに切れていて、目を痛めることはなかった。一方、太陽を鈍い銀色の円盤に例えることには反対である。太陽現象で大気がアメジスト色に染まり、空も大気も、周りのものもアメジスト色に染まっていた。網膜の異常かと心配したが、その場合、紫色は見えないはずである(Aleteiaより要約)。

しかし、3人の子供たちが見たのは、踊る太陽ではなく、聖母マリア、聖ヨセフ、ロザリオの秘儀、カルメル山の聖母の幻影でした。すべての奇跡が終わった後、人々の服はもちろん、地面までもが完全に乾いていたのです。

私は、この太陽の奇跡は、神の奇跡を体験しなければ回らない人々のために行われたのだと信じています。

第3の秘密はいつ成就するのか?

ニコラス・グルーナー神父(1942-2015)は、「第3の秘密は完全には明らかにされていない。」と考える人物の一人でした。

Fr. Gruner on the Message of Fatima/ Your Last Chance Conference/ May 2012

1931年、私たちの主がシスター・ルシアに現れました。ロシアの回心が成されなければ、世界に、大きな災いが降りかかると再び警告されたのです。

このビデオでは、グルナー司祭が聖マルガリタ・マリア・アラコクの預言を用い、ロシアの回心が成されない場合、神の裁きがどのようなタイミングで行われる可能性があるかを説明しています。

1689年6月17日、聖母マリアはマルガリタに現れました。マルガリタその後、聖母がフランス国王に「どうか、フランス国をイエスの聖心に奉献するよう伝えてください。」と頼んだことを伝えました。しかし、三代にわたるフランス国王は、聖母マリアの言葉を蔑ろにし続けました。そして、予言からちょうど100年後の1789年6月17日、フランス国王は第三身分の人々によって王権を奪われ、それから4年も経たないうちに、ギロチンで処刑されたのです。

グルナー神父は、ファティマの要請の「タイムリミット」も1931年から数えて100年ではないかとの懸念を示しています。

ベネディクト16世: 無原罪のマリアの御心の勝利のために祈る

2010年5月13日、福者ジャシンタとフランシスコ・マルトの列福10周年に際して(そしてファティマ出現100周年を7年後に控え)、教皇ベネディクト16世はジャシンタ、フランシスコ、そしてファティマの聖母の秘密に関する説教を行いました。この説教で教皇は、ファティマの預言的使命が、完了したと考えるのは誤りであることを明らかにしています。

また、ジャシンタとフランシスコの神への燃えるような愛に関する言葉を紹介しました。そして、ルカ11章28節にある主の言葉「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」を引用し、信仰の重要性を強調しています。そして信仰は私たちを裏切らない、希望の地平を開くものであり、恐れのない人生の土台であると付け加えています。さらに、ファティマの聖母への奉献が世界中に広がり、無原罪のマリアの御心が勝利するという予言の成就が早まることを希望している、と願っています。 (EWTN, Homily, Mass in Fatima 13 May 2010)

ベネディクト16世が、無原罪のマリアの勝利という預言のすぐの成就を祈り、すでに19年が経ちますが、その明るい兆しはまだ見えていません。今日の世界の状況を考えると、第三次世界大戦の惨禍が、先に実現する可能性の方が高いようです。一方、ルカ21章9節には、「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」とあります。希望は残っているようです。

ファティマの聖母の願いどおりに行われなかった奉献

聖母が預言した戦争を回避するための二つの条件は、第一に、人々の聖母に対する冒涜と侮辱に対する贖罪としての五大第一土曜日の献身、第二に、教皇のみが行うことのできるロシアの奉献です。

聖母マリアの出現から100年以上、歴代の教皇によって、ロシアの回心と奉献のための祈りが何度も捧げられてきました。残念ながら、ロシア奉献の試みは、いずれも聖母の要求通りに実行されたことはありません。

2022年3月21日付の記事で、ライフサイト・ニュースが解説しているとおりだといえます。(以下抜粋)

世界の司教たちは、奉献に参加するよう招かれたが、命じられたわけではない。
また、すべての信者が参加できる「第一土曜日5回」の奉献が、まだ十分に普及・浸透していないとも言えるかもしれない。いずれにせよ、ファティマの預言は、ロシアの聖別が実行されなければ、多くの国が地上から消滅すると告げているのである。

無原罪のマリア様の勝利の予言が一日も早く成就し、世界が平和になることを心から祈ります。

ファティマの預言:聖母の出現 (1)

ポルトガルはカトリック教徒にとり、魅力あふれる国です。世界遺産であるジェロニモ修道院をはじめとし、美しく歴史ある教会が数多くあるからです。そして何より、聖母マリア、ファティマの聖母の一連の出現が起こった国でもあるからです。

ファティマの聖母はバチカンから本物の出現と認定されているのか?

ファティマの聖母は、その奇跡と最後の審判に関する予言によって、カトリック教徒でない人々にも知られています。しかし出現を信じる前に、バチカンがこの出現を認定しているかどうかを確認することが重要です。

カトリック教会は、これまで数多くの聖母の出現と思われるケースを調査してきました。20世紀には、なんと386件もの聖母の出現がバチカンに報告され、承認が求められましたが、そのうち299件については、バチカンは明確な回答を出していません。

残りの87件のうち79件についてバチカンは、聖母の出現である超自然的な性格を持つものではない、と判断しています。つまり、聖母の出現だと思われる386件につき、超自然的な出来事であった、とバチカンが判断したケースは8件しかないのです。ファティマの聖母はその8件のうちの1つとなります。 (デイトン大学)

1930年10月13日、レイリア地方の司教ジョゼ・アルヴェス・コレイア・ダ・シルヴァは、ファティマの出現を信じるに値すると判断し、ファティマのロザリオの聖母という名称で、聖母への一般信心を許可しました。ファティマの聖母の祝日は5月13日とされましたが、長い間、地元の祝日にとどまっていました。

1940年、ピオ12世は、ファティマでの聖母は本物であり、超自然的な出現であると宣言しました。そして2002年、カトリック全教会用のカレンダーに表記され、現在に至るまで教会の公式祭日となっています。

3人の牧童の前に出現したファティマの聖母

1917年5月13日の日曜日、聖母は、ポルトガルの小さな村ファティマに住む3人の牧童、ルシア(1907-2005?)、ルシアのいとこであるフランシスコ(1908-1919)、ジャシンタ(1910-1920)の前に現れました。

その日は日曜日で、3人の子供は朝早くからミサに行っていました。ミサが終わると、彼らは羊の群れを連れ、コバ・デ・イリア(Cove de Iria)といわれる場所に羊の放牧に向かいました。放牧をしている間、3人の子供たちはお昼ごはんをたべ、祈りを捧げたりしながら時を過ごしていました。

その日は晴天で、青空が広がっていました。彼らは、いつものようにゲームをして遊んでいました。すると突然、強い光が見えたのです。突然、光を見た子供たちは、雷だ、と思い、急いで羊を家に連れて帰ろうしました。その時、二度目の光が輝きました。すると小さな西洋ヒイラギガシの木の上に、3人は白いドレスを着た光り輝く女性がいるのを見たのです(Fatima for Today/Fr. Andrew Apostoli, C.F.Rより要約)。

3人のうち、ルチアだけが聖母マリアと話すことができました。フランシスコは聖母を見ることができましたが、聞くことも話すこともできませんでした。ルシアは後に、聖母マリアは17歳くらいの若い女性のように見えたと語っています (Fatima for today) 。

ファティマの聖母が予言した運命をたどった3人の子どもたち

1917年のファティマでのマリア出現の頃に撮影されたファイル写真に写る、ポルトガルの羊飼いの子供ルシア・ドス・サントス(中央)とその従兄弟であるジャシンタとフランシスコ・マルト (Public domain)

6月13日の2回目の聖母出現の際、ルシアは聖母マリアに「私たちを天国に連れて行ってくれますか」と尋ねました。聖母は「ジャシンタとフランシスコは、すぐに連れて行きます。あなたたちはもう少しここにいてください 」と答えました。

そしてジャシンタとフランシスコは、ファティマの聖母が予言した通り、数年後に亡くなります。フランシスコは1919年4月4日、ジャシンタは1920年2月20日にスペイン風邪で亡くなりました。ルシアはその後、14歳で聖ドロシー姉妹学校(中等学校)の寮生となり、聖ドロシー姉妹学校(高等学校)のポスラント(修道女候補者)としてスペインのテュイにある修道院に入り、1928年10月3日に初誓願を立てました。1934年10月3日、終生誓願を立て、「悲しみの母」のシスター・マリアと名乗るようになります。

その後1946年にポルトガルに戻り、1948年3月にコインブラのカルメル会サンタ・テレサ修道院に入り、そこで生涯を終えています。

(Servant of God Lucia Santos | EWTN)

最年少、非殉教者の聖人となったジャシンタとフランシスコ

フランシスコの唯一の夢は、天国に行くことだったと言われています。当時、まだ7歳だったジャシンタは、ルシアに「無原罪の御宿りは救いの道へ導いてくれる、そのためには祈りと改心、そして聖母への献身を必要とする」と語っていました。フランシスコとジャシンタは、幼いながらも深い霊性に恵まれており、人々は彼らの祈りによって、神に執り成しを求めることさえあったということです。

2000年5月13日、ジャシンタとフランシスコはに教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福されました。そしてファティマの聖母出現100周年を記念し、2017年5月13日、教皇フランシスコによって列聖されています。彼らの祝祭日は2月20日となっています。

ジャシンタとフランシスコの姪であるジャシンタ・ペレイロ・マルトは、2017年4月20日の列聖に際して、CNAとのインタビューで彼らについて話しています。

彼女によると、フランシスコは、神を賛美し、神を慕い、神を崇拝する ことに重点を置いていたそうです。しかし、ジャシンタは主に改宗に関心を持ち、すべての人が神のもとに戻り、すべての人が改宗し、すべての人が天国に行くこと を願った、と話しています。

ファティマでの聖母の出現、それに続く子供たちの列聖は、主イエス・キリストが言われた言葉をはっきりと現しています。

幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。(マルコ 10:14)

シスター・ルシアの謎

ジャシンタとフランシスコが早くに亡くなった後、3人の中で唯一残されたルシアは修道女となり、やがてカルメル会に入信しますが、1948年以降のルシアについては大きな謎があります。

バチカンの公式発表によると、ルシアは2005年に97歳で亡くなっています。しかし、多くの人々は、彼女は実際にはずっと前に亡くなっており、2005年に亡くなったルシアはファティマのシスター・ルシアではないと考えています。

SISTER LUCY TRUTHは2017年より様々な専門家、医学専門家の手をかり、果たして2005年2月13日に亡くなったのは、本物のシスター・ルシアだったのかを調査しはじめました。彼らは、シスター・ルシアの写真の比較はもちろんのこと、筆跡の比較、また顔の骨格の分析など細部にわたった分析をしています。その結果は以下のように報告されています。

1917年にファティマの聖母が現れた本物のシスター・ルシアと、少なくとも1967年5月13日から2005年2月13日に亡くなるまで、ファティマの本物のシスター・ルシアとして自分を偽っていた偽者が、実際に存在したという判断を下しています。


真実はまだ明らかにされていないため、分析結果を信じるか信じないかは個人の自由です。一方、1946年と1967年以降のシスター・ルシアの写真を比較すると、専門家でなくても1967年の写真には、1946年の写真のルシアとは別人が写っていることがはっきりと理解できます。もしシスター・ルシアが2人存在していたのなら、いったい何のために存在したのでしょうか。そして、本物のルシアはどこに消えてしまったのでしょうか。

Image: Statue of the image of Our Lady of Fatima

(2)へ続く

生か死かーカトリックの視点から見た 中絶問題

実は私は、最近まで中絶が殺人に等しいとは、全く考えていませんでした。中絶の問題が取り上げられ、中絶について調べ、胎児がどれほど成長しているのか、どのように中絶されるのかという事実を初めて知り、その事実にぞっとしたのです。おそらく、多くの中絶推進派の人々は、かつての私と同じように、中絶の真実について無知なのではないでしょうか。

今回は、なぜ中絶が重要な問題なのか、そしてこの問題に対するカトリックの視点はどうなのか、についてお話したいと思います。

カトリックにおける神の赦しと中絶の罪

カトリックの教えは、罪のない人間の命を故意に奪うことは、常に間違っているというものです。胎児は人間であり、明らかに無実です。ですから、胎児を殺すこと、つまり中絶は、罪のない人間の命を奪うことであり、大罪なのです。もし、人が大罪を1つでも悔い改めずにこの世を去るなら、その罪はその人を永遠の地獄に真っ逆さまに突き落とすことになります。ですから、中絶という大罪を犯した人、あるいはそれに協力した人は、他の大罪と同じように、自分の魂が救済されるためには、神に心から許しを請い、良い告解をする必要があります。

非カトリックの場合はどうなるのか?

結局のところ、告解をしない非カトリック教徒であっても、神は彼らを愛されているので、赦され、神の恩恵を受けることができます。私の教区のある司祭の説教では、主イエス・キリストが「わたしが道であり、真理であり、命である。わたしによらずには誰一人父のみもとには行けない」(ヨハネ14:6 -ドン・ボスコ口語訳)と言ったことは事実であると述べています。さらに、キリストはすべての人の入信を望み、唯一の教会を設立したが、信徒ではない人々が必ず地獄に行かなければならないということではない、ということを明言しています。

司祭は、神の赦しと恩恵は神秘的な方法で与えられ、時に、外見的、視覚的な兆候を伴わない、と説明していました。また私たちカトリック教徒には、秘跡という素晴らしく有利な点がありますが、神の恩恵は何らかの形ですべての人に与えられている、と強調しています。

中絶をすると地獄に落ちる?

わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。(ヤコブの手紙3:2)

神の赦しと恩恵にあずかれば、地獄に行くことにはなりません。地獄に落ちるどのような罪からも救われます。

私の教区の司祭は「地獄に落ちるのは、カトリック、非カトリックを問わず、愛である神の赦しと恩恵を拒絶する人々である」と述べました。神は自由意志を何よりも大切にされるので、自ら神の恩恵を拒否する人々には、救いの手を差し伸べることはできないからです。

一方、カトリックであろうとなかろうと、神を愛し、神を怒らせたことを反省し、自分の罪を心から悔い改める人(いわゆる「完全悔悛」)は、中絶や他のどんな罪も神によって赦されます。主なる神は「わたしは悪人の死を喜ばないが、悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ」(エゼキエル33:11)と言われています。

米国における中絶に関する世論について

1972年1月、アメリカ合衆国の最高裁判所は、ロー対ウェイド事件の判決において、中絶を禁止するすべての法律は違憲であるとの判断を示しました。しかし、2022年6月、最高裁はその判決を覆し、憲法で保護された中絶の権利は存在しないとの判決を下しました。つまり、50州のそれぞれが希望すれば、自由に中絶を禁止することができるようになったのです。

その後、ピュー・リサーチ・センターが行った調査によると、米国の成人の62%が「中絶は全て、またはほとんどのケースで合法であるべき」と回答し、36%が「全て、またはほとんどのケースで違法であるべき」と回答しました。別の調査においては、この問題に関し絶対主義的な見解を持つアメリカ人は比較的少ないという結果が出ています。

この調査では、無宗教者の83%がプロチョイスであることが判明しました。またキリスト教徒の中では、黒人プロテスタント(71%)と白人非福音派プロテスタント(61%)の過半数が、すべての場合またはほとんどの場合において中絶を合法とすべきとの立場をとっています。しかし、白人の福音派の4分の3近く(73%)は、中絶はすべての場合、あるいはほとんどの場合において違法であるべきだ、と答えています。

文化的なカトリック教徒はプロチョイスなのか?

さらに、カトリック教徒の53%が「中絶は道徳的に間違っていない」と考えているとのことです。

一見、衝撃的な結果ですが、もちろん、調査の質問の仕方を変えれば、違う結果になる可能性はあります。しかも、この数字には、カルチュラル・カトリック (文化的カトリック)と呼ばれる人たちが含まれていると考えられます。文化的カトリックとは、アンケートでカトリックにチェックを入れますが、カトリックの教義や道徳に関心がなく、定期的に教会に通うこともない人たちのことです。上記でのべたようにアンケートに回答した53%のカトリック教徒は、教義や道徳に無知であることは明らかです。

中絶が答えなのか?

中絶に反対する人たちに投げかけられる質問のひとつに、レイプの結果、女性が妊娠してしまったらどうするかというものがあります。カトリック教徒に限って言えば、中絶は選択肢に入りません。レイプ被害者が望まない妊娠をし、経済的・心理的負担から出産が困難な場合でも同様です。

レイプは米国では深刻な問題で、RAINNによると68秒に1回レイプが発生し、女性の6人に1人が生涯で性的被害を経験している、ということです。

しかし、中絶はレイプ被害者にとって良い結果をもたらさないことが判明しています。Live Actionによると、中絶を選択したレイプ・サバイバーの88%が後悔しているということです。また、中絶をしたレイプ被害者の93%が、同じ境遇の人に中絶を勧めない、と答えています。

レイプは女性が責任を負わない暴力行為であり、中絶は女性が道徳的責任を負う暴力行為なのです。(Students for life of America)

「私はレイプされることを選んだわけでもなく、妊娠することを選んだわけでもない。また、私の子供は私が妊娠することを望んだわけでもありません。私に起こった恐ろしい状況のせいで、彼の命を奪う権利はありません」 (Students for life of America)

こうした事実から見えてくる大きな問題は、「中絶は被害に遭った女性の解決策である」という誤った認識です。また、勇気を持って子どもを持つことを選択した女性に対する、福祉や地域支援の充実が必要です。私は、性犯罪の被害者が、被害に遭った後にさらなる苦しみを味わうことに、いつも憤りを感じています。中絶問題の権利を主張するだけでは、深刻な性犯罪状況の被害を失くす、ということにはならないからです。

ロー対ウェイド判決に協力したバーナード・N・ナタンソン博士

産婦人科医のバーナード・N・ナタンソンは、「中絶王」と呼ばれ、ロー対ウェイド判決で自民党側の勝利に貢献したプロチョイス活動家でした。けれども、超音波に映し出された胎児の映像が、ナタンソンの中絶に対する考えを変えるきっかけとなりました。


彼は、子宮の中で胎児が微笑み、伸びをし、足の指をくねらせているのを見たのです。また、胎児が中絶器具から離れようと縮こまる姿も見え、それは胎児が痛みを感じているサインだと感じたのです。超音波検査によって胎児の真実を知った彼は、「全米中絶廃止協会」を設立しました。(ナタンソン博士については、Inside the Vaticanをご参照ください)

ナタンソン博士は、中絶を 「アメリカ史上最も残酷なホロコースト 」と呼んでいます。胎児は肉の塊ではなく、中絶装置から逃れようとする人間の赤ん坊なのです。ピュー・リサーチ・センターによると、アメリカでは中絶が減少傾向にあるとのことです。その一方、薬物による中絶は増加傾向にあるのです。たとえば、州法で中絶を違法としている保守的なテキサス州でも、薬物による中絶は1100%増加しているのです(『セレブレーション・ライフ・マガジン』2023年冬号、30頁)。ナタンソン博士が言うところのホロコーストは、まだ終わっていないのです。

申命記命:命の選択

聖書では申命記30:19で神が命の選択を命じています。

「 わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう」(ドン・ボスコ社口語訳)

「あなたは命を選ばなければならない」という言葉は、日本語訳(ドンボスコ口語訳)でも英語訳(RSV)でも、またギリシャ語訳、ラテン語訳、その他いくつかの英語訳でも、命令形になっています。十戒のひとつに 「汝殺すなかれ」という教えがありますが、これは「汝、無実の人を殺すなかれ」という意味です。つまり、中絶は殺人と同じである、ということなのです。

私たちの命を与えてくれた神が「命を選択しなさい」と命じました。私たち人間には、その神の命令を書き換える権利はないのです。

命の選択をした母親の子供

ライアン・ボンバーガー氏は、レイプによって生まれた子供であり、クリスチャンであり、デザイナーであり、エミー賞受賞アーティストであり、ソングライターであり、作家であり、「ファクトビスト」(ボンバーガー氏の造語。「アクティビスト」活動家と「ファクト」事実を組み合わせ)です。

この曲は、英語の “mean to be “という言葉が示すように、過去にも現在にも意味を持つ人生を与えてくれたことに感謝する、母親へのメッセージです。

MEANT TO BE” by Ryan Scott Bomberger

中絶の「権利」の側にいるのはどんな団体?

プロライフの教えを意識していても、中絶権を主張するニュースを見ていると、妊娠が性犯罪の結果であったり、健康上の問題があったりすると、女性が中絶してもいいのではと考えてしまうことがあります。しかし中絶を「権利」だと納得をさせるのは、狡猾な手口です。

中絶推進団体サタニック・テンプル

2019年に宗教団体として認可されたサタニック・テンプルは、中絶の 権利 のために活動を続けています。彼らは「実際には悪魔を崇拝していない」と述べていますが、興味深いことに、ウェブサイトには悪魔の画像を目立つように表示し、キリスト教とは相反する思想を積極的に支持しています。

このニュースを読みながら、「アヒルのように見え、アヒルのように聞こえるなら、それはおそらくアヒルなのだろう」という英語のことわざを思い出しました。サタニック・テンプルに関しても、「もし彼らが悪魔崇拝者のように見え、悪魔崇拝者のように行動するならば… 」と考えられます。

エクソシストであったガブリエレ・アモース師は、神の掟を進んで犯す人々が、堕天使に似ていることを説明しています。

「天使の原罪は、暗黙のうちに、あるいは明示的にサタン主義に固執する人々と同じである。サタンに従う天使と人間は、神の法に服従することなく、つまり自分の望むことをすることができ、誰にも従わず、自分が自分の神であるという3つの原則と人生の実践的なルールにその存在が基づいている」 (Catholic Exchange, April 19, 2023)

世俗の世界から眺めれば、中絶に関して、カトリック教会とサタニック・テンプルは、意見の異なる奇妙でカラフルな二つのグループに過ぎません。中絶反対派をとる人々が、自分の中絶反対の価値観を他人に押し付けなければ、問題は解決するように思われるはずです。

しかし、プロライフ活動にとって、受胎から自然死までの生命の権利は、宗教的教義であると同時に、自然法の基本原則であり、公正で安定した社会の基盤の一部であるのです。最も弱い立場の人々を保護しない社会は、やがて 強者が正しさを決める社会、すなわち、権力者であれば好きなことができる、というような無政府状態に陥ってしまうからです。

中絶の権利 や 選択の自由(女性が中絶するかどうかを選択すること)は、最初は良いアイデアに聞こえるかもしれませんが、このアイデアを支持する人々は、彼らの(認知されているかどうかにかかわらず)リーダーである悪魔のように、神ではない意図を持っているのです。そして、悪魔の目的は常に、社会の破壊、家族の破壊、教会の破壊、そして魂の破壊です。

ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)を超える人生

中絶というテーマは、政治的、道徳的、宗教的な多くの要因によって複雑になっています。最近の社会的傾向として、左翼的な傾向が強く、中絶に反対することは、「主流」社会の政治的正しさとはかけ離れたものとなっています。カトリック教徒は過激派とさえ呼ばれ、中絶クリニックの前で祈っただけで逮捕されたこともあります。暴動でも暴力でもなく、ただ祈っただけです。

中絶の問題は、宗教的信念と世俗的価値観の対立を伴うと考えられがちです。そのため、賛否両論があり、感情的になる人もいます。しかし、中絶は個人の感情だけで決められるような問題ではありません。この問題を明確に理解することは、宗教に対する感情によって左右されるものでもありません。 無神論者であっても、理性だけで中絶がいけないことだと理解することができるはずだからです。 (例えば、こちらのウェブ・ページ、Secularprolifeをご覧ください。)

生と死の選択は、政治的な正しさや宗教的教義だけではなく、人間の本性に左右されるものです。生命を選択することが過激派とみなされるような世の中になってはならないのです。

自然法と神の意志に基づき、すべての命が神の御心になるよう強く願います。

Image: Virgin Mary and baby Jesus