ファティマの預言:聖母の出現 (1)

ポルトガルはカトリック教徒にとり、魅力あふれる国です。世界遺産であるジェロニモ修道院をはじめとし、美しく歴史ある教会が数多くあるからです。そして何より、聖母マリア、ファティマの聖母の一連の出現が起こった国でもあるからです。

ファティマの聖母はバチカンから本物の出現と認定されているのか?

ファティマの聖母は、その奇跡と最後の審判に関する予言によって、カトリック教徒でない人々にも知られています。しかし出現を信じる前に、バチカンがこの出現を認定しているかどうかを確認することが重要です。

カトリック教会は、これまで数多くの聖母の出現と思われるケースを調査してきました。20世紀には、なんと386件もの聖母の出現がバチカンに報告され、承認が求められましたが、そのうち299件については、バチカンは明確な回答を出していません。

残りの87件のうち79件についてバチカンは、聖母の出現である超自然的な性格を持つものではない、と判断しています。つまり、聖母の出現だと思われる386件につき、超自然的な出来事であった、とバチカンが判断したケースは8件しかないのです。ファティマの聖母はその8件のうちの1つとなります。 (デイトン大学)

1930年10月13日、レイリア地方の司教ジョゼ・アルヴェス・コレイア・ダ・シルヴァは、ファティマの出現を信じるに値すると判断し、ファティマのロザリオの聖母という名称で、聖母への一般信心を許可しました。ファティマの聖母の祝日は5月13日とされましたが、長い間、地元の祝日にとどまっていました。

1940年、ピオ12世は、ファティマでの聖母は本物であり、超自然的な出現であると宣言しました。そして2002年、カトリック全教会用のカレンダーに表記され、現在に至るまで教会の公式祭日となっています。

3人の牧童の前に出現したファティマの聖母

1917年5月13日の日曜日、聖母は、ポルトガルの小さな村ファティマに住む3人の牧童、ルシア(1907-2005?)、ルシアのいとこであるフランシスコ(1908-1919)、ジャシンタ(1910-1920)の前に現れました。

その日は日曜日で、3人の子供は朝早くからミサに行っていました。ミサが終わると、彼らは羊の群れを連れ、コバ・デ・イリア(Cove de Iria)といわれる場所に羊の放牧に向かいました。放牧をしている間、3人の子供たちはお昼ごはんをたべ、祈りを捧げたりしながら時を過ごしていました。

その日は晴天で、青空が広がっていました。彼らは、いつものようにゲームをして遊んでいました。すると突然、強い光が見えたのです。突然、光を見た子供たちは、雷だ、と思い、急いで羊を家に連れて帰ろうしました。その時、二度目の光が輝きました。すると小さな西洋ヒイラギガシの木の上に、3人は白いドレスを着た光り輝く女性がいるのを見たのです(Fatima for Today/Fr. Andrew Apostoli, C.F.Rより要約)。

3人のうち、ルチアだけが聖母マリアと話すことができました。フランシスコは聖母を見ることができましたが、聞くことも話すこともできませんでした。ルシアは後に、聖母マリアは17歳くらいの若い女性のように見えたと語っています (Fatima for today) 。

ファティマの聖母が予言した運命をたどった3人の子どもたち

1917年のファティマでのマリア出現の頃に撮影されたファイル写真に写る、ポルトガルの羊飼いの子供ルシア・ドス・サントス(中央)とその従兄弟であるジャシンタとフランシスコ・マルト (Public domain)

6月13日の2回目の聖母出現の際、ルシアは聖母マリアに「私たちを天国に連れて行ってくれますか」と尋ねました。聖母は「ジャシンタとフランシスコは、すぐに連れて行きます。あなたたちはもう少しここにいてください 」と答えました。

そしてジャシンタとフランシスコは、ファティマの聖母が予言した通り、数年後に亡くなります。フランシスコは1919年4月4日、ジャシンタは1920年2月20日にスペイン風邪で亡くなりました。ルシアはその後、14歳で聖ドロシー姉妹学校(中等学校)の寮生となり、聖ドロシー姉妹学校(高等学校)のポスラント(修道女候補者)としてスペインのテュイにある修道院に入り、1928年10月3日に初誓願を立てました。1934年10月3日、終生誓願を立て、「悲しみの母」のシスター・マリアと名乗るようになります。

その後1946年にポルトガルに戻り、1948年3月にコインブラのカルメル会サンタ・テレサ修道院に入り、そこで生涯を終えています。

(Servant of God Lucia Santos | EWTN)

最年少、非殉教者の聖人となったジャシンタとフランシスコ

フランシスコの唯一の夢は、天国に行くことだったと言われています。当時、まだ7歳だったジャシンタは、ルシアに「無原罪の御宿りは救いの道へ導いてくれる、そのためには祈りと改心、そして聖母への献身を必要とする」と語っていました。フランシスコとジャシンタは、幼いながらも深い霊性に恵まれており、人々は彼らの祈りによって、神に執り成しを求めることさえあったということです。

2000年5月13日、ジャシンタとフランシスコはに教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福されました。そしてファティマの聖母出現100周年を記念し、2017年5月13日、教皇フランシスコによって列聖されています。彼らの祝祭日は2月20日となっています。

ジャシンタとフランシスコの姪であるジャシンタ・ペレイロ・マルトは、2017年4月20日の列聖に際して、CNAとのインタビューで彼らについて話しています。

彼女によると、フランシスコは、神を賛美し、神を慕い、神を崇拝する ことに重点を置いていたそうです。しかし、ジャシンタは主に改宗に関心を持ち、すべての人が神のもとに戻り、すべての人が改宗し、すべての人が天国に行くこと を願った、と話しています。

ファティマでの聖母の出現、それに続く子供たちの列聖は、主イエス・キリストが言われた言葉をはっきりと現しています。

幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。(マルコ 10:14)

シスター・ルシアの謎

ジャシンタとフランシスコが早くに亡くなった後、3人の中で唯一残されたルシアは修道女となり、やがてカルメル会に入信しますが、1948年以降のルシアについては大きな謎があります。

バチカンの公式発表によると、ルシアは2005年に97歳で亡くなっています。しかし、多くの人々は、彼女は実際にはずっと前に亡くなっており、2005年に亡くなったルシアはファティマのシスター・ルシアではないと考えています。

SISTER LUCY TRUTHは2017年より様々な専門家、医学専門家の手をかり、果たして2005年2月13日に亡くなったのは、本物のシスター・ルシアだったのかを調査しはじめました。彼らは、シスター・ルシアの写真の比較はもちろんのこと、筆跡の比較、また顔の骨格の分析など細部にわたった分析をしています。その結果は以下のように報告されています。

1917年にファティマの聖母が現れた本物のシスター・ルシアと、少なくとも1967年5月13日から2005年2月13日に亡くなるまで、ファティマの本物のシスター・ルシアとして自分を偽っていた偽者が、実際に存在したという判断を下しています。


真実はまだ明らかにされていないため、分析結果を信じるか信じないかは個人の自由です。一方、1946年と1967年以降のシスター・ルシアの写真を比較すると、専門家でなくても1967年の写真には、1946年の写真のルシアとは別人が写っていることがはっきりと理解できます。もしシスター・ルシアが2人存在していたのなら、いったい何のために存在したのでしょうか。そして、本物のルシアはどこに消えてしまったのでしょうか。

Image: Statue of the image of Our Lady of Fatima

(2)へ続く