あなたがたは世の光: Lux Mundi

聖書には「光」という言葉がたびたび登場しますが、新約聖書のマタイでは、私たちがその「光」であるという言葉がでてきます。その「光」の部分に、マザーTが小さなメモをつけていましたのでご紹介させていただきます。

14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。– マタイによる福音書5章14-16節。

世の光であれ、とは述べず直説法:マザーTのメモ

14節、マザーTは、直説法であることを指摘しています。直説法は現実について語ります。”世の光となれ “と言っているのではなく、私たちキリスト教徒は、すでに世の光であると言っているのです。”あなたがたは世の光 “とは、洗礼によってキリスト教徒が光となることを意味します。

15節、ヘイドック聖書注釈によれば、世の光、山の上の町、灯火は、カトリック教会を指しており、それは山であるキリストの上に建てられているので、隠すことはできないのである、と解釈されています。

あなたがたの光が人々の前に輝きなさい。人々があなたがたの立派な行いを見てあなたがたの天の父をあがめるために。:マザーTのメモ

16節のマザーTの訳注は、私たちはすでに光であり、光を持っている、私たちの仕事はただそれを輝かせることである、という点を強調しています。

確かに、光であれば隠れることはできません。「世の光である」、私はこの事実をたびたび忘れていたことに気が付きました。神から与えられた 「光 」としての役割を無事に終えたとき、私たちの魂が帰る場所は、はるかな高みにある光の神のところです。それは簡単なことではありません。思い出させてくれた彼女のメモに感謝します。

ラテン語:Lux(光) Mundi (世界/世)

神に栄光

画像 : Ancient Middle Eastern Oil Lamp Made in Clay on Wood Table Stock Photo – Image of empty, desert: 43794038 (dreamstime.com)